バークレーに通っていた頃、私たちプログラム生には専任のディレクターがいました。我々のアカデミック・カウンセラーだった彼女は野心を内に秘めた博士で、このキャリアを糸口に着々とバークレーでの立場を築こうとしていました。
実際1年後には学部生向けに授業も受け持ち、大きな寮に無料の部屋をあてがわれ、そのマネジメントも行うように。
年齢はおそらく私と同じぐらい。細身にブロンド、キャンパスではちょっと目立つ華やかな服装で、流行りの桜色のワンピースなどを着こなしていた彼女。
毎週プログラム生だった私たちには、マンツーマンのカウンセリングが組み込まれていました。ある日彼女のオフィスを尋ねると、いつになくつっけんどんな調子だったので「大丈夫ですか? 何かありましたか?」と尋ねると、堰を切ったように彼女が泣き出しました。白人の人は皮膚が薄いので、泣くと顔が真っ赤になります。
「あれもやらなきゃいけない。これもやらなきゃいけない。
プライベートでもパートナーはカウンセラーの試験がうまくいっていない」。
その日は彼女の話を聞く時間にしようと心を決め、うなずきながら彼女の言葉に心を傾けました。
少し落ち着いてきた彼女は、クリネックスで鼻をかみながら
「で、あなたは大学院への進学どうするの? 成績は今のところオールAよね」と尋ねてきました。
「なんかしっくりこないんです。会社を辞めてアメリカに来てからずっと自分を観察しています。自分の実験の治験者みたいにして。
その大雑把なセオリーは、えーーっと、
『ありのままの自分を受けいれる、つまり自分に無条件の思いやりを持つことで、次第にそれを周りにも拡大でき、結果すべてが幸せになる』という感じでしょうか。
手法はヨガだったり、マインドフルネス瞑想だったり、感謝日記だったりいろいろやってきました。
でももっとシンプルで根本的な方法、お金も時間も使って後先考えずに今やりたいことをやってみるという大勝負に出てみました。無条件に自分を愛するというのがいまいちわからないので、どういうものか自分の人生を使ってやってみるしかないなと思ったからです。
それで会社を辞めて今ここで勉強しています。
すると意外なことに、自分の気持ちを大切にしてやりたいことをやっているはずが、
“みんなのように若くない”、”稼いでいない”、”英語ができない””私には問題がある“”価値がない“”同世代の人と比べて、バカみたいなことをしている“と今まで以上に自身にダメだしする自分と出会うことになりました。
心の膿が噴き出してきたのです。
そこでそれを洗いざらい書いてしまって昇華してしまおうとブログで公表してきました。するとネガティブなコメントに落ち込んでしまって、やはり外側の評価で自分の存在価値を決めてしまう。自己肯定、自己信頼って一筋縄じゃいかないもんなんだなとその複雑さを体感しています。
“十分じゃない(不足感)”、“日本人の自分はネイティブのみんなとは違う(分裂)”、“Aを取らないとダメ(条件)”、“このままでは負け犬だ(失敗)”という強迫観念が迫ってきて、プラムヴィレッジのお坊さんたちには「頭の中の思考にハイジャックされるな。感じろ」と助言をうけました。
わかっているけど、頭のなかでしか理解できていない。心理学でも言われるように、解釈が変わらないから創造する世界も変わらないのです。
自分の内側の不安や分裂を反映するように、1日目の研究室のミーティングでも、大学院生たちが自分たちの卒業後の進路についての不安を吐露していました。
将来を約束されている、全米、いえ世界屈指のバークレー大心理学部、さらにはその中でも一番人気の研究室の大学院生でも、博士号をとったあとの未来に不安を抱えて生きているのかとびっくりしました。
仲がよかった『セルフ・コンパッション(自分への思いやり)』について研究していた大学院生は、「みんなCompetitive(競争的)すぎる」と博士課程半ばで韓国に帰るそうです。
そしてリアルに感じるのは、慈悲の心について研究している学者たちよりも、家主のアルツハイマーのおばあさんやその周りの人たち、大学中退のインターン先の社長やギフトの世界で生きている人たちという事実。
研究したいなら「学位が必要だ」「大学院生でなければいけない」と博士にも言われています。
資格がないと出来ない。足場を固めないといけない。
たかが自分みたいな人間がいうことなんて、誰も気にも留めない。きっとそうでしょう。
きっとそうなるでしょう。これから、そういう体験もするでしょう。
でも、本当にそうなのかな?とも思うんです。
大学院出願に必要なGREのスコアを取ろうとしたら、試験勉強に1年はかかりそうです。
わたしのアメリカ滞在の限られたビザ(時間)と貯金を、実際に『セルフ・コンパッション』につながるようなことを教えている施設や、瞑想や哲学を毎日の生活で実際に行っている人たちから学んでみたいなというのがどうしてもあるんです。プログラムを終えたら、ビザの残りはあと2年です。
だから今のところプログラムを卒業したら大学院を目指す気はありません」。
そういうと、彼女が意外にも「わかるわ…」と反論しません。
そして大学の終身雇用を持つ古株の教授たち、他の講師陣と友人になろうと奮闘してきたことを打ち明けられました。
あまりに関係性を薄っぺらに感じ、あるときキャンパス内で真の友人を作りたいとある教授に相談したそうです。
「そうしたらなんて言われたと思う? 『だったら子どもを早く作って、子どもがいる教授と交流を深めることだね』って……」。
思わず「Disgusting!(キモッ)」と叫んでしまいました。
2年間のプログラムを卒業したあと、とはいえわたしは「ここまでやったし、もう後もないしな」と大学院進学をすぐには諦めきれず1年間研究機関でボランティアしていました。実力不足で結局そこを去ることになり、具体的な目標を見失った私は、近所のコーヒーショップで論文を読んだり、公園で友だちにヨガを教えたりしながら過ごしていました。
するとある友だちとお茶をしているときに、ギフトの世界に生きるニップンさんが、あの凄まじい信念を整えるために定期的にS.N.ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想合宿に通うと話題に上りました。
「これは天からのメッセージ!」と思って車も免許もないわたしは、「絶対行く!」とライドシェアを見つけ出し、すぐにカリフォルニア州のヴィパッサナー瞑想センターに向かいました。
センターは完全ボランティアで運営されていました。瞑想の疑問に答える先生、料理を作ったり、先生との質疑応答の調整などを行うスタッフ全員がこの瞑想の実践者で無償の奉仕活動を行っているとのこと。
参加費は、任意の寄付制です。今回のわたしの参加費は前に参加した人たちからのギフト(Pay It Forward/恩送り)があるからこそ、成立しているということでした。わたしの寄付は次の参加者へのギフトになるのだそうです。
オリエンテーションが終わると、ノーブル・サイレンス(聖なる沈黙)がスタート。ここからは瞑想の疑問に質問できる先生やマネージャー以外は誰とも話せず、アイコンタクトやジェスチャーのたぐいも禁止です。
自分の心の奥深くに向き合うために外部とのコミュニケーションは一切遮断。当然携帯電話は没収で、読書もNG、メモを取るのもダメです。
10日間(正確には到着日と最終日を含めて12日間)瞑想し続けるのですが、その内容は大きく3部構成になっています。
1部は、鼻腔と上唇を結ぶ三角地帯に意識を集中し、息を観察するアナパーナ瞑想。わたしはこれを心落ち着き瞑想と呼んでいます。
動画で解説! 不安、ざわざわがリラックスする、5分間の心落ち着き瞑想。
2部は、全身の感覚をスキャンするように観察して、体の部位が何をどう感じているのかを第三者的な視点で見つめるヴィッパサナー瞑想です。
この瞑想法に移行してから、わたしは右膝の激痛に悩まされることになったのですが、それを「痛みの中心はここだな、熱を帯びているな」というように注意深く観察します。痛みと自分を同一視せずに傍観者のように客観的なスタンスを保つというのがポイント。わたしのなかでこれをやり続けていると、村上春樹さんの小説の主人公のような気分になってきます。
すると痛みの本質には、正規分布のように、登りつめてピークを迎え、しだいに下っていき、やがては去るという一連のリズムがあり、痛みが永遠ではないことを体感していきます。自分の感覚はすべてが諸行無常、永遠ではないという真理を自分の体を使って、その経験から腹に落としていきます。
S.N.ゴエンカ氏によれば、感情は必ず感覚とセットになるもの。心地よい感覚も嫌な感覚も現れては必ず消え去るもの。必ず移り変わる存在を永遠に変わらないものだと錯覚し、良い感情(感覚)に強く執着をして、嫌な感情(感覚)を避けようと逃げ惑うのが私たちの性。
その結果、常に外側の現象に左右されることになり、快不快に執着し「わたしの」「わたしのもの」と人と自分を区別し分裂させ、心の平穏や幸せが保てないのだそうです。この真理を知識だけで理解するのではなく、自分の身体感覚を使ってリアルに体感し、経験に基づいた智慧にしようというのが瞑想の目的なのだそうです。いつかまたわたしなりにアレンジしたヴィッパサナー瞑想法も動画にしてお届けしますね。
8日目の午後は、先生に常日頃疑問に思っていたことを質問しました。
「この瞑想では執着や嫌悪感を手放すことが目的ですが、プラクティスを続けていくにつれて無感情になってしまいませんか? ブラック企業や軍隊でも瞑想が指導されると耳に挟みましたので」と。
すると「いいえ。この瞑想ではあなたの感覚と感情に気づき、外側の状況をより正確に把握したうえでその感情を外に表現するかしないのかという選択の自由をあなたに与えてくれるもの。感情を抑圧した自分ではない誰かになろうとするのでもなく、自動操縦的に外側に反応して感情に振り回されもしない形で、です。それが自由です」という答え。
喜怒哀楽を持ってもいいんですね。振り回されているのでなければ。
8日間、どれだけ自分が自分にダメだしし続けているかを嫌というほど自覚しました。号泣もしましたし、心の膿は大噴出です。
合宿中は1日二度のご飯の時間だけが楽しみで「一体なんで私はわざわざカリフォルニアまで来て、暗い独房のなかで自己批判し続けているんだろう…」と落ち込みつつ、それを「アニッチャー(諸行無常)」「アニッチャー(諸行無常)」と「それはそれで」と流し続けていると、8日目の夜に頭がスカンと空っぽになりました。ものすごく気持ちがいい。これが体感するってことか!
やはり、思い込みを手放していく過程には、嫌な感情(感覚)でもそれと一度向き合ってみること。でもそこにストーリーを加えずに、ただただ感じて手放していくことが必要になるのだと思います。
3部は、メッタという愛と慈悲の瞑想です。あるものをあるがまま見て感じることで古い思考パターンや心の汚濁を掘り起こしていくヴィパッサナー瞑想。これを何日間も集中して行うと、それはそれはパワフルな体験になるので、穴ぼこになった心の傷口に塗る薬となるのが、このメッタ瞑想です。コンパッション瞑想とも呼ばれます。
「意識してか意識せずか、わたしを傷つけた人すべてを許します。
(※これは自己批判し続けてきた自分のことも含みます)
わたしが傷つけた人すべてからわたしが許されますように。
生きとし生ける者すべてが幸せで、平和で、本当の自由を得られますように」
「Be Happy(幸せでありなさい)…」
「Be Happy(幸せでありなさい)…」
ゴエンカ氏のチャンティング(詠唱)を聞いているうちに、左目から涙が一筋頬を伝っていきました。
「この瞑想はただ感覚を鋭くするためのゲームじゃない」とゴエンカ氏は強調しますが、瞑想のテクニック的なものよりも、講話で終始語られる思いやりの実践がこのヴィパッサナー瞑想の核なのでしょう。瞑想はあくまでもそれをサポートするためのもの。
つまり思いやり抜きにしてヴィパッサナー瞑想は無い、ということです。
わたしはヴィパッサナー瞑想を生徒として座ったのが3回、奉仕側として運営ボランティアをしたのが2回です。たまたまニップンさんに遭遇するという嬉しいハプニングもありました。訪ねたのはすべて北カリフォルニアで、日本のセンターを訪問したことはまだありません。
私には合っていましたが、すべての人にしっくりくるかはわかりません。入院をしてオペを受けるような感じで、マイルドな体験でもありません。
どんな教えもプラクティスもヒーリングもスピリチュアルリーダーや聖者も、それぞれが内側に目を向けて、外で見た真実を自分の心の中の真実、つまり「私にとっての」真実と調和するかどうかを感じて判断することが大事だと思います。なんだって、どんな有名なすごい人や偉い人の教えだとしても、自分が「しっくりくるか」、この感覚が答えです。正解を外側に求めた時点で、本質からズレてしまうのです。
自分の感覚を徹底的に信じるのは、すごく難しいことです。わたしも自分の心に湧き上がる考えを書くのは怖いです。周りと違った時に、その在り方を大事にするのも。「やっぱりおかしいのかな」「このままじゃダメなのかな」そう思う気持ちが全くゼロであるときは実はあまりありません。それでもやはり、いろんな指導者や場所を訪ねて、そこで時間を過ごした結果、すべてに共通することは、本来の自分が知っていることを思い出すことが真の知性だということ。だから怖くても、ひとりぼっちのような気になってしまったとしても、自分の小さな声に耳を傾け続けるんです。
エミリオに出会ったのは、ヴィパッサナー瞑想センターでボランティアしたあとバークレーに戻ったときのことでした。いつも通っていた道なのに、そのときは初めて見たように視界に飛び込んで、とても気になったカリフォルニアの青空のようなブルー色の店。なかに入り、ポストカードを贈ってくれたオーナーでヒーラーが彼でした。
奉仕側として参加したヴィパッサナー瞑想合宿。女性サーバー(ヴィパッサナー合宿で奉仕する人)が私ひとりだったというパワフルな12日間をセンターで過ごした後にエミリオ夫婦と出会い、エネルギーワークを贈り続けてもらうという恩送りの流れ。今考えても偶然にしては出来すぎているように感じます。しかもエミリオたちは、滞在ビザが切れて私が帰国した半年後ぐらいにバークレーを去り、今はペルーでさらなるクアンデロ(男性祈祷師)の修行を積んでいるそうです。タイミングが少しずれていたら、エミリオに会うことはありませんでした。
ヴィパッサナー瞑想合宿はほかのヒーリングなどと併用するのは禁止されています。そこで以降センターを訪ねていませんが、ゴエンカ氏の教えは心にあります。
アメリカ最後の1年半は家を引き払ってホームフリーになり、アメリカの禅センターや、エサレン研究所、タイフォレスト仏教僧院などを訪ね歩いて瞑想しました。そしてバークレーに戻るたび、エミリオのエネルギーヒーリングを受けました。一時帰国した時は日本の総持寺、帰国後は石川県にある曹洞宗のお寺などで接心しました。
どれもそれぞれに美しく、辛く、膿が噴き出し、癒しの体験でした。いずれ順を追って書いていきたいと思います。
今になって思います。バークレーで「Disgusting!(キモッ)」と感じたもの。あれは私が「感じること」をただ感じるのではなく、そこに執着しすぎていた姿勢の現れだったということを。「私のこの感覚は正しい」「あの人の感覚は間違っている」と、ずっとずっと。そうではなくて毎瞬間キチンと感覚を感じて気づいて手放していれば、もっと見晴らしのいい場所に立つことができ、人生で起こるあれこれを地の利のあるところから見つめられていたのでしょう。「しっくりくる」はすべてだけどそのプロセスを信頼することは思うよりも軽やかなもので、重たくなったり、とらわれているのとはまた違うんです。
例えるなら、エックハルト・トールの言葉を借りれば、
広大な宇宙に囲まれた地球を目にし、地球が貴重さと、とるに足らぬちっぽけさという
相反する性質を同時に持つという逆説的真理を見る宇宙飛行士になる ーEckhart Tolle『A New Earth』より
ということ。
今は家でひとり座っています。外側の現実としてはひとりだけど、心の内側では、エサレンの先生、禅センターのみんな、ゴエンカ式で学んだこと、恩人たち、いろんな教えや人たちと座っています。新型コロナウイルスが明けて機会が熟したときにはまた、日本のヴィパッサナー瞑想センターを訪ねて、たくさんの人たちと一緒に座るのも素敵だなと楽しみにしています。
#15に続く。元anan編集者。そして家を引き払って、ホームレスになる #15