先が見えない未来にどう向き合えばいい?
これに対する「パソコンの父」こと天才計算機科学者のアラン・ケイの答えは、
「未来を予測するのに一番いい方法は、それを発明すること」。
つまり先のわからない未来は、願いに合わせてデザインすればいいということ。
確かに未来は今の私たちの選択によって創造されるものです。けれども、AIが人間の能力を追い抜いて大量失業時代が来るとか、日本は少子高齢化で年金はいずれ焦げついてしまうとか、いろんな未来の可能性によって、逆に私たちの心が希望どころか不安へと駆り立られませんか?
では逆に、未来が完全に予測できたらどうでしょう?
なんどもなんども同じ今日を繰り返し、明日がこないのなら、私たちは完璧な“今日”をデザインできるのでしょうか。
それを問う映画が『Groundhog Day恋はデジャ・ブ』です。
この映画の英語タイトルGroundhog Dayとはアメリカとカナダで2月2日に行われる行事日のこと。この日には冬眠から覚めたジリスの一種グラウンドホッグを用いて春の訪れを占います。動物を使った一種の未来予想です。主人公はトム・ハンクスが演ずる人気天気予報士フィル。フィルはこの行事を取材しに、テレビ番組のプロデューサーのリタとカメラマンのラリーと小クルーでペンシルバニアの田舎町にやってきました。
カプチーノもエスプレッソも知らない宿屋の女主人をバカにし、古臭くて退屈な田舎の行事に飽き飽きするフィルは自分のことを「セレブ」と見る鼻持ちならない男で、クルー仲間の二人も下に見ています。ところが一同は大雪でピッツバーグに戻れず、田舎町にもう1日閉じ込められてしまいます。その翌朝、午前6時のアラームでフィルが目を覚ますと、昨日と全く同じ1日がスタートするのです。
なんどもなんども昨日が繰り返されて、ノイローゼ状態になったフィルは奪った車で崖から転落したり、ビルから飛び降りて自殺を試みますが、何事もなかったかのように6時の目覚ましで同じ2月2日が始まります。
What would you do if you were stuck in one place and every day was exactly the same and nothing that you did mattered?
ある場所にハマりこんで、毎日が完璧におんなじで、何やっても何にも変わらないっていうんじゃ、君ならどうする?
このフィルのセリフが映画で私たちが投げかけられるテーマです。絶望のすえ、フィルは同じ1日が繰り返されることで「俺は神だ(でもThe Godじゃなくて、a godだ)」と失敗や死への恐怖から解放されます。そしてなんども昨日を過ごすうちに、リタの優しさや寛容さを知ることになって恋に落ち、彼女の好みやピンとくる行動やセリフを駆使して口説いてみますが、いつも最後はリタから平手打ちをくらってしまう。なぜうまくいかないのか。「あなたは自己中心的で自分のことしか考えていない」と言い放たれてしまいます。
フィルはなんども同じ1日を過ごすうちに、リタだけではなく、町の人たちにも愛着を感じるようになっていきます。そして自然に、助けてもお礼を言わないことも木に落ちることもわかっている少年を、腰を痛めるのを知っているのに受け止めたり、ホームレスに持っている現金を全部あげたり、老婦人が運転する車のパンクを修理していきます。
相手を知って、興味を持って、愛着が湧いて、その人のことを自然に思うことでサポートする。自分が生きるのは今のみで、感謝されたとしてもその関係性が信頼へとつながる明日も未来もやってこない。未来への期待も不安もないことで、最高の今を生きたフィルが目を覚ますと、ベッドの横には愛するリタが眠る2月3日、「最高の明日」がようやく到来した、というのが映画の結末です。
この映画は昨日「新型コロナウイルスで人との触れ合いもなく、毎日が代わり映えのしないような生活のなかで、フィルの気持ちがより身近なものに感じられる」とバークレーの恩人ゆかちゃんがシェアしてくれたものです。
フィルは「明日がこない」運命のいたずらで未来を手放し今に集中したことで、最高の未来の自分をデザインしたのです。
未来が予測できなくても、ひょっとしたら明日がやってこない異常現象で今日に閉じ込められてしまったとしても、今を大切にして最高の未来の自分とつながることは、いつでも誰でもそれが出来るのだとこの映画は教えてくれます。