欠乏感で心が折れそうなら、「未来記憶」を使ってなりたい自分を叶える。

百貨店で裁縫の仕事をしていた42歳のローザ・パークス。1日の仕事を終えた彼女は、市営バスの黒人優先席に座っていました。

 

黒人女性だったローザが後に乗車してきた白人にバスの席を譲らなかったことで逮捕されたというのが、1955年のモンゴメリー・バス・ボイコット事件です。

 

この経緯を受けてキング牧師らが抗議活動に立ち上がり、バスの利用者の75%を占めていた黒人たちがバスを使わず歩いたり知人の車で移動するようになって、市は市営バスの収入源を失い経済的に大きな打撃を被りました。その結果、公共交通機関における人種差別は禁止されました。

 

非暴力による公民権運動を率いたキング牧師は、悪夢のような現状でも「私には夢がある」といい続けました。そして人種差別を禁じる公民権法が制定されます。そして公民権法制定の4年後、キング牧師は39歳で暗殺されました。

 

わたしがアメリカで暮らして1か月ほど経った、1月15日。語学学校がお休みで「キング牧師記念日だよ。彼のお誕生日だったんだ」と先生に教わりました。

 

アメリカで初めて観た映画は、『Selma(邦題:グローリー/明日への行進)』でした。初めて英語でチケットを買い、字幕なしで映画を観る体験でもありました。当時は「ドクタースースの絵本から始めなさい」と言われるぐらい英語がわからなかったのですが、中学生のときの英語の授業で偶然にも彼の演説をメロディーにした歌の暗唱テストがあったりしたので、内容はズンと入ってきました。

 

わたしが生き方を180度方向転換するきっかけになった、マインドフルネスの師であるティク・ナット・ハン禅師(愛称:タイ)。彼がキング牧師にも呼びかけた非暴力によるヴェトナム戦争反戦運動を先導したことから、牧師がタイをノーベル平和賞に指名した背景もあって、わたしは英語がよくわからなかったとしても彼の映画がどうしても見たかったのです。

 

タイが言う「平和のための行進とは、自身の平和の心から始まる。怒りで行うそれは、怒りを生むものだ」という深いメッセージを刻みながら、映画の中で鉄砲を振り回す警官たちに殴られるままにして非暴力を貫く彼らの姿はスクリーンの世界だとは言っても、実際に起きたことの再現で、見るのが辛い。何度も顔を歪めて、目をつぶってしまいました。

 

信じたことを行動に移し、けれども目の前に起きる現実は、信念がまるで役立たないように見える悪夢で、それでもなお非暴力という夢と向き合って信じ、行動をとって貫くという在り方。

 

先月黒人男性が首を抑えられて死亡した事件がありましたが、こうした歴史が繰り返され、義憤が高まった先には暴力が非暴力に勝ることもあり、また同じエネルギーでは火に油を注ぐだけだと「夢」の在り方や志を省みる。

 

『Selma』を観た4か月後のことです。その日はサンフランシスコのマーケット通りで語学学校を終えたお昼頃、バスを待っていました。すると190cm近くの黒人男性が近づいてきて、わたしのカバンに手を突っ込み、携帯電話と財布を抜き取って走り去ったのです。

 

それはわたしにとっての全財産でした。2ブロックほど「彼を止めて」と叫びながら必死に追いかけました。カードなど中身を道路に撒き散らした彼は、それをわたしが拾う間にせせら笑いながら逃亡しました。

 

目撃者のひとりが通報してくれ、駆けつけた警察官に事情を説明すると「これからは絶対に追いかけないでください。銃を持っている可能性があります。撃たれますよ。こういう場合は奪われたものは諦めて、絶対に抵抗しないこと」と言われ、ハッとしました。

 

痛む右手に気づいて目にすると、財布を取り返そうとしたときに彼に引っ掻かれた傷から血が滲んでいました。

 

自分の当たり前って、なんて局所的なものなんだろう。

なんて私は世間知らずなんだろう。なんて世界とは複雑なんだろう。

なんて自分は物事を深く見られていないんだろう。

 

その事件の後で服装がだらしない大柄な黒人男性を見ると、体がこわばるようになりました。財布はジプロックに変え、いつも下着の下に忍ばせるようになりました。

 

この後でもう一回黒人男性に窃盗されそうになります。1年半後の大学から帰るバスのなかで、時間は20時頃。10代後半ぐらいの黒人の青年でした。そのときはそんな時間に女性一人でバスなんて乗るもんじゃないと言われました。でもわたしには車も免許もないのです。送ってくれる家族も居ません。

 

日本に帰ってホッとしたのは、もう四六時中肌にガチガチしたカードや固いジプロックのでっぱりを当てなくてもいいこと。もう道を一人で歩いていて黒人のホームレス男性に「チャイニーズ!」と奇声を浴びせられなくていいこと。

 

こういう風に思うようになった自分を人種差別者で嫌だと思いました。でもこれは何の社会的な保証も無いわたしがアメリカで生きるうえで必要な危機感でもありました。

 

今はどうしてアジア人女性のわたしが西海岸に一人暮らしたら、危険な思いをしたときに常に貧しい黒人男性が関わっていたのかに問いが向かいます。それは、どういうシステムが目指す未来を阻む「今」に影響を与えるのかということ。

 

作家のジョージ・オーウェルは、その先見性により、新型コロナウイルスの先の未来がまるで近未来小説『1984』で描かれた監視社会国家のようだと話題になりました。1920年代に貧困を経験した彼は「The essence of poverty annihilates the future (貧困の本質とは、未来を潰すものである)」と書きました。

 

シニカルで的を得たツッコミが冴え渡る歴史家のルドガー・ブレグマンは、心理学者たちの研究を検証しました。そして貧困者たちが明らかに不健康な食生活を送って糖尿病や肥満になったり、呑んだくれて借金まみれになったり、窃盗したりというのは、個人の人格のせいではなく、社会構造に置けるあらゆる欠乏のせいだと断言します。

 

人は時間、お金、食べ物など、なんでも欠乏を感じたときに目の前の不足しか見えなくなり、先を見る力が失われてしまうのだとか。貧困とは、愚かな選択をしてしまう状況にあるということ。そして十分な金銭を与えられない限り、人は貧困を選び続けるというシステムに置かれるのだというのです(1)。

 

そんななかでもキング牧師は暴力に対して非暴力を貫きました。悪夢のなかで夢を語りました。貧困のなかで賢明な選択をしました。欠乏のなかで豊かで在りました。

 

こんなことが出来たのは、彼が超人だったからでしょうか。彼は全く他の人とは違うのでしょうか。当然、彼は人並みすぐれた志と不動の精神の持ち主です。でも彼の在り方から私たちが取り入れられるものがあります。

 

人は行動を起こすときには、3種類の記憶のいずれかの影響を受けるというのが、池田貴将さんです。それは以下の3つです(2)。

 

過去記憶…過去の出来事に紐づく記憶(ex)あのとき⚫⚫だったから、今回も…

現在記憶…今の出来事に紐づく記憶(ex)今これをしなきゃ。今こうだから

未来記憶…未来に紐づく記憶(ex)いつか⚫⚫したい。




過去にできなかったことを考えてやる気をなくしてしまうのは、過去記憶のせい。

現状にとらわれて先延ばしにしてしまうのは、現在記憶のしわざ。

その先にある未来の記憶をたくさん持つことで、やりたいという感情を持ちながら目標を達成していくのが未来記憶の力だとか。

 

池田さんによると、人の行動を決定するのはその人の能力でもなければ、意思や思考でもなく、その人が体験する感情の状態なのだそうです。

 

ここでタイの「平和のための行進とは、自身の平和の心から始まる。怒りで行うそれは、怒りを生むものだ」という言葉がリコールされます。

 

今の自分から考えて途方もなく素晴らしい未来を実現したいとき。

まずはそれを思い描いて、達成したときの自分の感情を感じる。

過去記憶や現在記憶に抑えられて「そんなこと、一体できるのか」「今まで失敗続きだったじゃないか」などと疑ったり悩まず、可能性を信じる。

未来から逆算した「今」とれる小さな一歩をとる。

結果が出たら祝い、うまくいかないときはそこから有難く学ぶ。

思い通りに運ばなかったのはとった行動のせいで、人格を否定する必要はない。

 

いつでもスタートラインに立って、どんな感情がモチベーションになっているのか。平和や喜びの心を丁寧に確認して感じながら、未来のなりたい自分を今から一緒に体験しましょう。

 

1.https://www.ted.com/talks/rutger_bregman_poverty_isn_t_a_lack_of_character_it_s_a_lack_of_cash/discussion?awesm=on.ted.com_eiU6&source=twitter&language=ja

2. 池田貴将著『未来記憶 イメージする力が結果を呼び込む』(サンマーク出版)