新型コロナウイルスの世界的な大流行にともなって、海外メディアではソーシャル・ディスタンシング(Social distancing)という言葉がひんぱんに見られます。この言葉は社会的隔離戦略とも訳されますが、ウイルスの感染予防のために人同士が一定の距離を取るということです。
アメリカの首都圏では食料品の買い出しなどを除いた外出違反をすると罰金、オーストラリアでは会話をするときの距離を1.5m以上取るよう推奨。イギリスではスーパーの入店人数制限があったり、インドネシアの電車やシンガポールの屋台では席を空けて座わるために、接近防止の赤いテープのバツ印が椅子に。
このパンデミック報道の前の世界はどんどん加速していました。3月からは5G通信のサービスが始まって、世界はさらにデータ量も速度も増す6G通信の2030年実現を見据えて開発計画を開始しています。テスラのイーロン・マスクやFaceBookのザッカーバーグは、人間が超人になるようなデバイスの開発を率先していました。
ヴァーチャルな世界と現実世界の境目、それはまるで神と人間の領域の境界線を曖昧にする試みのようで、心に浮かんだのはバベルの塔でした。そんな折に神経資本主義とビッグファイブ(大量絶滅)の関係性について触れました。私たちのもともと内側にあったものが現れていくよと。
感じたものも気持ちだって、全部脳の産物じゃないか。だからコンピューターでもその体験を洗脳再現できるじゃないか、というのが仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)の論理です。確かに映画を観るだけでも、ものすごい臨場感があります。私自身も映画もYouTUBEも大ファンです。でもやっぱり庭に出て木っ端を拾ったり薪を切っていると、手を使って触れて、空気の香りを嗅いで、顔をのぞかせた虫に怯えたり、春の訪れを知らせるスミレに心に奪われたりすると、そこにはヴァーチャルでは味わえない、体と心に染み渡るなにか独特のものがあります。
新型コロナウイルスがイタリアであれほど短期間で大感染した理由に、キスや抱擁による肉体密着文化も一つあるのではという意見がありました。それが一理あるのなら、人間がテクノロジーの力で好んで物理的なふれあいを無くそうとしていただけではなく、自然のほうからも「接近したら感染するぞ」と何かそれを後押しするというこの流れは、私たちの中の何を浮上させてくれようというのでしょう。ここで何を私たちが学べ、体験出来るのか。
自宅でのリモートワークが推奨され、ミーティングはZoomなどのビデオ会議に置き換わり、満員の通勤電車も、付き合いで顔を出していた飲み会も無くなる。ここで経済的な損失以外に物理的な形で失われるものとはやはり、肉体を持つ私たち人間同士の物理的なふれあいです。
「触れることは、私たちが理解する以上に奥深いものです。それは思いやりを表す第一言語、そして思いやりを広げる主要な方法ともいえるでしょう」とは、カリフォルニア大学バークレー校心理学部教授のダチャー・ケトナー博士。ケトナー博士は、思いやりを社会に広げるための研究機関、グレーター・グッド・サイエンス・センターの創設者です。
私たちは猿人から人間へと進化する過程で、びっしりと体を覆っていた体毛を失いました。それに伴って、皮膚は私たちを内側と外側の世界へとつなぐ素晴らしい窓となったのです。
「皮膚は私たちの体の中で最も大きな臓器であり、その重さは約2.7kg、広げると約1.7㎡の大きさとなります。鋭い木の枝やUV線、バクテリアやウイルスといった外の天敵から体を守ってきただけではなく、皮膚には良いものを私たちの体の中に取り入れてくれるという重要な働きがあります」(ケトナー博士)。
タッチ・セラピーやマッサージのように、触れることが心と体を健康にしてくれるというのは多くの研究も明かすところです。『タッチ』の著者ティファニー・フィールド博士によれば、未熟児にマッサージをすると、平均して47%体重が増えたそうです(1)。
また母親からたくさんの触れ合い(舐める、毛づくろい、体を密着させる)を受けた子ネズミも、のちに大人になって困難な状態におかれたとき、ストレスホルモン値が低く、新しい環境の中で果敢に探検することが出来、免疫システムも強かったとか(2)。
「ある研究では電気ショックを受けることを予告され、心配しながら待っている女性治験者の脳を調べると、“脅威”に関連する脳の領域が活性化していました。けれども愛する人に手を握ってもらうとその反応がすぐに止まったんです」(ケトナー博士)。
大切な人との触れ合いは、動物にとっても人間にとってもストレスを克服する大きな力になるのです。それは言葉を超えた深遠なる対話、つながりです。
「友好的なタッチは、迷走神経を活性化します。私たちの体に走る迷走神経は、“闘うか逃げるか”という防衛闘争反応を鎮めて、信頼感をもたらすオキシトシンという神経伝達物質の放出を誘う、神経の束のことです」(ケトナー博士)。
猿も食べ物をわけてくれた相手にグルーミングをします。それはやってくれたことへのお返し、感謝の気持ちを体で伝え、信頼関係を築く方法のひとつです。互いに、そして世界への信頼感と善意を促す、触れる力。これが教育の現場に生かされた例もあります。
フランスの心理学者ニコラス・グエゲン博士は120人規模の統計学のクラスを受け持つ教授に、教室の前に出て問題を解くと志願した生徒全員に同じ言葉をかけて励ますように指導しました。そしてその生徒を無作為に選び、彼らに対してのみ話す時に、上腕を軽く叩くように教師に依頼しました。
腕を触れられた学生は、うち28%が、触れられなかった学生の9%に比べ大きく数をしのいで、再び問題を解こうと手を挙げたのです。当然教育現場で生徒を触れることがタブーになる場合もありますので、受け取り手がそのメッセージをどう捉えるかも重要な鍵となります(3)。
このように触れ合いには相手にも自分にもたくさんの心と体の栄養が与えられます。けれどもお互いの息づかいを感じ、触れることでしか得られないコミュニケーションがはかれない今。まずはこの試練の中で頑張っている自分の肩を優しくポンポンとたたいて労ってハグしてみませんか。バカみたいだと思われるかもしれないけど、ちょっとホッとしますよ。私はたまにやります。そして、メールの文章は普段以上に相手への思いやりと愛を込めてみて。体は遠くても心でつながることは、必ず出来るはず。それを私たちは今体験しながら、学んでいるのだと思います。
参考
Keltner,Dacher. “Born to be Good-The Science of a Meaningful Life.”
1.Field, T., Schanberg, S.M., Scafidi, F., Bauer, C.R., Vega-Lahr, N., Garcia, R., Nystrom, J., & Kuhn, C.M. (1986). Tactile/kinesthetic stimulation effects on preform neonates. Pediatrics, 77, 654-658.
2.Francis and Meaney. “Maternal Care and the Development of Stress Responses.”
3. https://greatergood.berkeley.edu/article/item/hands_on_research