カリフォルニア州・オークランドにあるギャングの巣窟で家を開放していたパンチョとサム。彼らと過ごすうちに、今の自分が出来る“ワタシサイズ”のギフト生活から始めてみようと思った私です。そしてギフロエコロジー・ツアー後半には、彼らのヒーローだというひとりの男性に会いにいくことになりました。
ツリーさんアイキャッチ写真・HIromi Bower Ui
向かった先は、サンフランシスコ・ミッション地区。ここはもともとヒスパニック系移民が生活の場としてきたエリアですが、Google、Twitter、FaceBookなどのIT住民が移住したことで地価が大高騰したトレンドスポット。
人気ベーカリー「タルティーヌ・ベーカリー」やIT住民から転身したこだわりのビーン・トゥ・バーを販売するチョコレートショップ「ダンデライオン・チョコレート」などと、昔なじみのメキシカン商店が立ち並ぶ賑やかな街です。
通りを何ブロックか歩くと、別格な高さと大きさのワイルドな木々が垣根を越えて顔を覗かす都会のエアポケットが。“The Free Farm(フリー・ファーム)”です。ここは誰もが散策したり、菜園を手伝ったり、植物の育て方を学べるコミュニティガーデン。収穫した作物や肥料などはすべて無料で欲しい人に提供し、野菜や果物の栽培法も無償で教えているとか。さらに毎週日曜日にガーデンの収穫物に加えて、隣人の庭やさまざまなファーマーズマーケットなどから余った食べ物を集めて、近所の公園で無料配布しています。
“フリー・ファーム”に足を踏み入れると、鬱蒼と生い茂る竹林に圧倒されました。さらさらと竹の葉が風でこすれ合う音に耳をすませば「ここって本当に賑やかなミッション地区?」と不思議な気分に。穏やかな時間が流れる庭にはアーティチョーク、栗、アボカド、プラムにナッツと、食べられる植物もたくさん植えられています。
「都会のど真ん中にこんな立派な庭があったのか!」。半年間サンフランシスコで生活していましたが、全く知りませんでした。私が住んでいたシェアハウスのオーナーもまた、40年以上サンフランシスコで生活しているけれど初耳でした。
地価が超高いサンフランシスコ・ミッションでこれほど広大な庭を開放している人なんて、超お金持ちか政府の補助金をうまくやりくりしている賢人にちがいない。スティーブ・ジョブズのようなIT長者が一山当てた後、チャリティの世界に転向したのでしょうか? 斜めに言うと、莫大な富を使って「いいことをしている」というステータスシンボルを買っているのでしょうか。
リアルドワーフ登場?
そんな風に意地悪く妄想していたときです。「ハロー」と、ささやくような声が聞こえました。その声の主は、鮮やかな緑色のTシャツにオーバーオール、白い髭をたくわえるおじいさん。ドワーフがそのまま現れたような彼こそが“フリー・ファーム”を始めたツリー(Tree/木)さんです。ちなみにツリーというのは本名ではなく、ある日そう名乗るようになって以来、ツリーさんなんだそうです。
自由!
ツリーさんが友人と“フリー・ファーム”をスタートしたのは、1974年。ということは、アップルコンピューター創業の2年も前。Windowsの発売も1985年です。当然FaceBookもTwitterもありません。計算が合わない。
さらには開口一番にツリーさん、
「私は一度も仕事をしたことがありません。お金をもらって働いたことは無いんです」。
えっ?
当時67歳のツリーさん(2015年6月時点)。働いたことはないとは言いますが、鋤で地面を掘ったり、大量の土を載せた一輪車を運んだりとガンガン重労働をこなしていきます。サンフランシスコに来る前に何をやっていたかというと、ロサンゼルスのドヤ街で食料を集めて無料で配っていたそう。ん?
そしてサンフランシスコの地を踏んだのは、53年前の1967年。ヒッピー・ムーブメントのまっただ中です。ちなみに1967年とは、のちにスティーブ・ジョブズが禅修行をしたタサハラ禅センターが開所した年でもあります。(当時は思いもしませんでしたが、ツリーさんを訪ねた4年後、私はタサハラで住み込みボランティアをすることに)。
ヒッピー・ムーブメントのハブであったヘイトアッシュべリー(そして偶然私が当時住んでいたシェアハウスの場所)で食料を無料で配るDiggers(ディガーズ)と呼ばれる人々の活動にインスパイヤされて、ツリーさんはサンフランシスコに移り住みました。
「ただお腹をすかせた人に食事を配りたかったんです。とにかくそれがずっとやりたいことで、ただ本能に従ってそれをやり続けてきただけ。だからキャリアを積み重ねてきたというのとは違います」。
お金の枠組みも仕事のそれにもとらわれず、ただ自分の心に従って生きてきたツリーさん。
「お金も稼がず、どうして50年以上も続けられたのかはよくわからないけれど、ひょっとしたら自分の天命だったからかもしれません。私は幸運でした。大切にしてきたのは、自分の心が向かう場所。つまり、信念を生きるということです。ただ必要な人に食料を配るということに集中して、喜びを持ってそれを行っています。何も特別なことはしていません。苦しんでいる人がいれば、助けるという当たり前のことをしているだけ。それで今まで生きてこられました」。
なんだか魔法みたいな話です。サンフランシスコの一等地に一銭も稼がずに暮らして、しかも食べ物を無料で人に配り続ける。持っているノウハウは惜しみなく人に伝える。無くなっていく不安の中ではなく、ただただ与える喜びと豊かさの中で生きることができる。既存の資本主義構造では、これが一体どういう公式になっているのか見当たらず、因数分解して分析を試みるのももうお手上げ。
「食物は命です。あまりに尊いものだから、私にはとうてい値段なんてつけられません。私たちは太陽の光、空気や水、そして食物という命のエネルギーをいろんなところからいただいて、それを皆のために使うために生きているんです。私たちの存在は、ただ大きなエネルギーの流れというつながりの一部。自分の場所でその循環を止めたくないんです。だから受け取ったものは次にパスする、それだけ。そうするとまた必要なエネルギーが受け取れます」。
確かに訪問日も、ツリーさんの働きをサポートする人たちがフリー・ファームに集まっていました。お金というのはエネルギーの形のひとつ。何かを実行するために必要なエネルギーは、お金だったり、情報だったり、人手だったり、技術だったり、物資だったり、いろいろな形があるんです。
ツリーさんのお話に感動しながらも、依然としてお金の万能感や、社会的地位がないことによる自分への不信感がどーしても手放せなかった私。その後にツアーでは堆肥班、剪定班、落ち葉掃除班という3つの班に分かれてファーム作業をすることになりました。そこで恐怖の対象だった堆肥と向き合うことで何か変容が起こるかもしれないと期待して、堆肥班を志願。
結果、堆肥作業希望者は私以外ゼロ! ガーン…。
「私の人生、そういうこと、よくあるんだよなぁ…」と、ひとり黙々と鋤で堆肥をかき混ぜ、掘り起こし続けました。生ごみ、馬糞、落ち葉ブレンドに、プラスチックゴミが混ざっていたら、それを素手で選り分ける…。
「半年前にはラム酒の専門バーでマルティニーク産のラムの香りに酔いしれていたなぁ…」と華やかだった東京生活に想いを馳せたそのときです。
「ん? 堆肥、臭くない!」。
丁寧にブレンドされた堆肥は、美しい草原のような柔らかい香りがするのです。忌み嫌われるゴミや糞、落ち葉などが野菜やフルーツ、美しい草花の栄養となり、新しい命を育んでいく。
「不要なものなんて無い。それぞれの役割を果たしながら、循環の中で生きる」。ツリーさんのお話が腹に落ちたのです。すると涙が止まらなくなりました。
「世界はとても美しいですね」。ツリーさんと畑の隅で一緒に泣きました。
お金をギフト!
「今なら出来るかもしれない」。
フリー・ファームを後にした私は、お金への恐怖心を手放すための一歩を踏み出したいとツアー参加者全員の交通費48ドルをギフトしてみることにしました。私も循環の一部なら、存在していても良いのなら、ギフトしたらまたいずれどこからか必要なものが与えられるかもしれない。いつやってくるか、どんな形で巡ってくるかはわからないけど、まぁ期待せずにギフト経済の仕組みを信じてみようと思ったのです。
すると切符を買っている最中に、とても不思議なことが起こりました。お金を払っているのか払っていないのか、切符を渡しているのかもらっているのか、はっきりとわからない感覚になったのです。
ツアー前は日本からの教科書などの送料5000円で気が狂いそうになっていたのに!
そしてツアーの最終日。持っていた現金を全て寄付することにしました。正直を言えば所持金すべてを提供することにためらいがありました。なぜか?
第一に、その少なさを知られるのが恥ずかしかったからです。ツアー主催者のひとりソーヤ海くんは私が会社員だったころからの知り合いだったので、「あのときとアヤちゃんの懐事情、だいぶ違うんだなぁ!」と思われたとしたらみっともないと思ったのです。鼻くそレベルの小さなプライドです。そもそもこんな実験ツアーを主催する人がそんなこと思うわけがないし、自意識過剰です。
そしてこれが最大の理由です。それは今月どうやりくりしたら良いのかしら?という恐れ。当時は無収入でものすごい学費と固定費をかかえていたので、月々使える予算を設定していました。つまり、残り3週間をゼロドルで過ごせってこと!(物質世界で生きるためにやっぱりお金は必要。翌月分を引き落としました、ハハハ笑)
ツアー仲間と別れて、サンフランシスコの大通り・マーケット通りを歩いていたときのこと。不思議な感覚になりました。
そこは1か月前に、強盗に財布とiPhoneを強奪された場所。いつものように奇声を浴びせかけてくるホームレスやギャング紛いの人たちもたくさんいます。道端に散乱するゴミの中には麻薬の注射針らしきものだって混じっている_。ツアー前は恐怖心いっぱいで見つめていた風景が、ソファに座って鑑賞する映画のワンシーンのように感じたのです。
映画でどんな恐ろしい暴力シーンがあっても、それはスクリーンの中の出来事で火の粉は絶対降りかからない自信がありますよね。そんな感じです。「絶対大丈夫」という優しい膜のようなものが自分の周りをふわっと包んで守ってくれているような安心感がしたのです。いつも緊張でギュッとしていた肩の力が抜けて、少し楽になりました。
翌週、私は人生初のTOEFLを受験することになります。バークレー大に出願するために。一か月前までDr.スースの絵本を読んでいた私が無謀にも、です。頭を抱えながら受けた試験の最後、英作文のパートで、そのテーマが偶然にもecology-conscious(環境政策の重視)だったんです! なんてタイムリーな。
堆肥(compost)と循環、どんな個性も大切にされるべき栄養である、という締めくくりで書きました。ズタボロのスピーキングの後で、人が変わったように壮大な作文を提出した私。おそらく点数をつけたのは、カリフォルニアで暮らす誰かだったと思うので、彼らにとってピンとくる内容だったのか、作文で点数を稼ぐことができました。本当、何が転じるかわかりませんよね。堆肥作業がまさか悩みの種だったTOEFLのスコアに関係するとは…(TOEFL問題に関してはさらなる大どんでん返しがあるのですが、それはまた執筆します)。
ギフトというのはなんだかそういう感じです。与えたものがいつどういう形で返ってくるのか全く予想できません。やった仕事に対して対価が支払われるというシンプルなシステムではないので、贈った相手からは何も返ってこなかったり、いただいた恩を相手に直接返せない場合もあります。でも大枠で見ると因果応報というか、贈ったものややったものはいずれ必ず自分に返ってくる。そしてものすごいものが与えられそうになっても、受け取る器や循環させる準備ができていないと見送ることになるんですね。
行き詰まっているように見えたり、何も返ってこない感じがしても、贈ったギフトは陰徳として宇宙銀行に貯金されるように感じます。陰徳貯金が引き出されないと、どんどん利子がついて、忘れた頃にどかーんと「えっ!?」という形で返ってくるようです。恩人達を見ていると、そんな気がします。彼らは誰にも褒められることなくさりげなく善いことをしていますが、素敵な人生を送っていると思います。
そして、もらいっぱなしになっていると、大切なご縁でも自然に切れてしまったり、他のところでギフトを受け取れない期間が続いたりするようにも感じます。たぶん目に見えないエネルギーの磁石みたいなものがあって、あまりにも質が違いすぎるものは引き合わないからじゃないでしょうか。イエス・キリストやガンジーが暗殺されたりするのは、彼らのようにエネルギーが大きい人はその幅が広いから、一見全然違うエネルギーに見えても、磁石が強いので、大きな”プラス”も大きな”マイナス”も両方受け取れるからではと感じます。
尊敬するひとや大好きなひとがいたら、その人のエネルギーをできるだけ真似するようにしています。人生にいなくなってしまうのが、寂しいから。同じことはできないけど(その人がやっているわけだから、全く同じことをする存在はそもそも必要ないし)、姿勢というか在り方をダウンロードするような感じで。たとえ物理的に会うことができなくても、もう話すことがなくても、そのエネルギーは感じられます。
与えても受け取れずに苦しいときは、
*そもそも与えている量が少ない
*提供しているものの内容を変える必要がある
*追い詰められることで初めて開く回路がある
*熟成期間である
で、何も不必要なことは起こっていないので、不安になる必要はありません。起こっていることは自分が創造したもの。でもちょっとタイムラグがあるから、今起こっていることは過去の残像みたいなものです。だから、ギフトに溢れた世界を望むながら、今そう生きたらいい。現実の出来事がどうであったとしても。そこで今のわたしは、コツコツ静かに貯金する時期なのかなーと思っています。
ツリーさんのエネルギーに共鳴して、あのとき感じられた「大丈夫」という目に見えないけれど絶対にある感覚。今も不安で何かを決めようとするときに、なるべくそれを思い出して感じるようにしています。
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-#11に続く