真夏日のきょうも、東京マキワリの庭のセミたちは夏の終わりを知らせるツクツクボウシも応戦して、求愛の大合唱だ。
黒ずんだ白いスニーカーのソール部分を、ゲキ落ちくんでゴシゴシやってから、スポンジで靴全体をたっぷりと洗った。暑い日の手洗いは、腕にかかる水が汗をすこしひかせてくれて心地がいい。洗い終わってしまってから、部屋をホウキで履いていると、ベランダに干した、ふたたび白さを取り戻したスニーカーが目に入って胸のまんなかあたりからじわじわと幸せがこみ上げてきた。
「しあわせって何なのかな?」と思って離婚して、やがて仕事も辞めて、アメリカにいって、心理学の勉強をして、一文無しみたいな状態になって、ひきつづき執念深く答えを求めてスピリチュアルセンターで暮らしながら修行したりと、だいぶ道草してきたわけだけど。
庭の緑に白いスニーカーが映えて、それを眺めていると、しあわせというのはいつも流れているもので、ただそれに繋がるかどうか自分で決めることなんだと思う。しあわせと繋がる覚悟を決めることなのだ。
とはいえあまり「こうだ」と決めてしまうと、わたしの場合、やがてそれが「こうじゃないと」になっていき、遠回りしてしまうところもあるので、決まりごとはなるべく作らないようにもしている。
セミの声を聞いていると、小さいころに兄や従兄弟たちと祖母の家でセミとりに夢中になった日々を思い出す。
小学生のときの兄は、真冬も含めて年がら年中タンクトップとショートパンツ姿だった。彼はいちど「こう」と決めると、気持ちがいいぐらい徹底してそれをやりぬく人で、ある日とつぜん「タンクトップとショートパンツで通す」と決めた彼は、小学校を卒業するまで雪が降る日もそれを貫いた。
そんな兄が好きだったのは、羽根が透明で身体がでっぷり堂々として大きいクマゼミ。わたしにとって何となくそれは絵本の”裸の王様”をほうふつさせた。
虫捕り網で捕獲したのが茶色いアブラゼミだったときには、「なんや、アブラゼミか」と言って、兄はすぐにセミを放した。
クマゼミが獲れると、ひとまず祖母の家のメールボックスに入れた。それは大きな水槽ぐらいの十分なスペースがあって、中身が見えるように背面がガラス製になっていて、セミたちがよく観察できた。
ひとしきりセミとりを終えて、セミたちを逃がそうとメールボックスを見たら、交尾していた。乳白色のにゅるんとしたグロテスクな液体も見えて、兄としばらくちょっとしたトラウマになった。
「気持ちわるい」。
そのままメールボックスのガラスの扉を開けたままにしておくと、セミたちは自力で飛び出していった。以来私たちはセミを獲ることも、メールボックスに虫たちを入れて観察することもすっぱり止めてしまった。
セミたちは、幼虫として3-17年ものあいだ、人目にふれず地下生活をするという。そしてひと夏だけ(兄の好きなクマゼミは最長15日程度)、土から出て青空を眺め、大きな声で鳴いてメスを呼び寄せ、交尾のあとは、木につかまる力を失い地面に転がるように落ちて、静かにその生を閉じる。今日も竹ぼうきで石畳を履いていたら、ツクツクボウシとアブラゼミの死骸が仰向けになっていた。
そんなセミの生き様を見ていると、なにに書いてあったか忘れてしまったけど、心に響いてノートの表紙に書いた言葉を思い返す。
人生の成功は、手に入れるものではなく、いまおこなっていることのなかにある。
前にも後ろにもとらわれない。後腐れなしで先の期待もせず、いま全部を出し切る。
なんという潔い生き方だろう。
こんなふうにやったら、すべてがキラキラ輝き出して、仕事も恋も人生全般、後悔なくやれるんだろうな。
ひょっとしたら、当時の私たちよりもずっと歳をとっていて、何年も土の中で大舞台をひたむきに辛抱して待っていたセミたちを勝手に捕獲し、あげくの果てには、その交尾の姿を「気持ち悪い」と思ったこと。何十年と経て、反省しきりです。
昔もいまも、そして多分この先もずっと。
セミは裸一貫、全身で生きる喜びを現して、命の限り鳴いている。