お会計ゼロ円レストランオーナー、ニップンさんのギフトな生き方#11

People enjoy lunch at Karma Kitchen

お先真っ暗でバークレー大出願のため、6月末にTOEFLの初テストを受けました(めっちゃ長かった…)。そして、テキサスの伯父の家にはサンフランシスコのシェアハウスの契約が切れる7月から向かうことに。テストの結果はオンラインだと約10日後に出るそう。初対面の伯父の家で、運命の結果が出るなんて。もうハラハラドキドキ!

残りの1週間ほどのサンフランシスコ生活。でも、特にやることもない。そこで、ギフト・エコロジーツアーで出会ってインスパイアされたニップンさんの『カルマ キッチン』でボランティアしてみることにしました。

カルマ キッチンって何?

バークレー大があるダウンタウン バークレー駅の大通りを北に向かって歩くこと10分ほど。ここに月に一度だけ開かれるインド料理店があります。それがニップンさんの『カルマ キッチン』。本場仕込みの美味しいベジタリアンインド料理が食べられるだけではなく、とても不思議な体験ができるレストラン。一体なにが体験できるというのでしょう?

ニップン・メッタさん。1975年12月31日生まれ。UCバークレーでコンピューターサイエンスと哲学を専攻。大学三年生のときに働いたIT業界で莫大なお金を得て、全てそれをギフトすることを決断。現在もギフトな生き方を歩み続ける。

それはお会計時に判明します。「ごちそうさま」と伝票を見れば、「あなたのお会計は0ドルです」と書いてあります。

「タダってこと!?」(ラッキー)。

いいえ、ちょっと微妙にニュアンスが違う感じ。

伝票をよく読むと、前に来たお客さんが私の食事代を先払いしてくれたこと。そして今度はあなたが次のお客さんへギフトの輪をつなげるチャンスだと書かれています。けれど強要される空気感はゼロで、あくまでもそれは“インビテーション(お誘い)”。ゲームの参加チケットのようなものですね。

参加するかしないかは、あなた次第。

いくら払えば正解かという答えも、払ってくださいというプレッシャーもありません。笑顔を絶やさず働くスタッフは、全員ボランティアとか。

カルマ(Karma)という言葉を聞くと、ちょっと怖いイメージがしませんか? 

私は、する。

バチを連想させるような、「悪いことをしたら天罰が下るぞ」みたいな。

でもこの言葉はもともと、「良い」も「悪い」もなくって、単に「行為」という意味です。

それがヒンドゥー教の輪廻や仏教の縁起などの思想が相まって、行ったものが返ってくる(行為とその結果)、という考えが結びつきます。

さらに言えば、「善いことをしたら、良いことが巡ってくる」とか「悪いことをしたら、嫌なことが返ってくる」とか。そんな良いや悪いは、私たち人間が判断した「善悪」の基準にすぎません。もっと大きな視点で見るとニュートラルなもので、ただ出したものと同等だったり同質のエネルギーが返ってくる、という物理的原理ともいえます。

さて、そんなカルマという言葉がつくレストランの『カルマ キッチン』。

スタッフが全員ボランティアとはいっても、場所代、食材費などの固定費はかかるわけです。ギフトの輪が繋がらなかった場合は、ニップンさん側が自腹を切ることになりますよね。

そんな恐ろしいリスクを抱えもする『カルマ キッチン』。私がボランティアした時点(2015年6月)ではスタートして8年以上経っていました。3年持てばすごい、と言われる飲食業界です。

ニップンさんはどんな思いで、『カルマ キッチン』を始めたんでしょう? お話を伺いました。




ニップンさんが『カルマ キッチン』を始めたワケ。

「今私たちが生きているのは、個人社会ですよね。

 “私は何をするのか”

 “私はどうやって生活していくのか”

 “私はどう自分の恐れと向き合っていけばよいのか”

私、私、私…と、いつも自分ばかりで考えなければいけません。でもお母さんの胎内で、“5年計画を私はどうやるか”なんてこと、考えませんでしたよね。

私たちがお互いに関係しあって、そして協力しあう世界。そんな集合的な全体意識と私たちが切り離されたときに、意識が個へと傾き、こういった私中心の切り離された考えに陥るのです」とニップンさん。

そこでレストランという形態をとり、個にわかれた意識をつなぐ実験をしているのが『カルマ キッチン』だとか。

「店に行って何かを買うとき、値段が書いてあります。代金を支払って、商品を受け取ると、売買成立です。これが既存の経済システム。いっぽう、例えば私が友人の肩をマッサージします。その交換にその人から何かを返してもらうのではなく、彼に他の人の肩をマッサージしてもらう。それが一周したらいずれ誰かが私にマッサージをしてくれるという循環が生まれますよね。『カルマ キッチン』ではこの資本主義社会でそんな優しさの輪が可能かという実験をしているのです」。

『カルマ キッチン』の他にもさまざまな活動を行っているニップンさん。オバマ元大統領の顧問も務められたこともあります。でも、ニップンさんは自分の仕事に値段をつけない。相手が贈りたいと思ったものを受け取る。それはゼロ円のこともあるし、途方もない金額であることもあるし、お金では無いものの場合もあります。

そんな彼がギフト経済に生きるために行ってきたのは、自分の心作りです。

参考記事:生活費は国から永遠に支給? ベーシックインカム制度、ギフト経済、どうなるコロナショック後AI時代のお金と働き方

ギフト STEP1: 何も考えず、ただ与え続ける。

「私の経験上、ギフトに生きる過程は3段階に分けられます。

最初はただギフトし続けること。そこから親切心や寛容さを学びます。この時点ではどうやったらギフトの輪を繋げられるかとか、どうやって自分の心を整えていけば良いか、なんてことは考えずにただただ与え続けること」。

20代の頃はお金や時間、そして現在は自分が持っているものすべてを捧げるというニップンさん。そんな彼にとってもギフトの道は一筋縄ではなく、今もなお心の葛藤や微妙な変化を体験し続けていると言います。

「ギフトの旅路はとても長いんです。紙に書かれた記録のように、この人がいつこれを与えた、そしていつこれが返ってきた、みたいなシンプルな話じゃないんです。だから紆余曲折しながら、一歩一歩をふみしめながら体験し、過程を味わうことが大切です」。

ギフト STEP2: ギフトを受け取る。

そして次のステップは、ギフトを受け取ること。

「与え続けていくと次第に、大変微妙な感覚なのですが、受け取ることなく与えることができないことに気がつきます。つまりどんなときも、どんな形で何を与えたとしても、何かをギフトすると必ず何かを受け取ることになっているんです」。

ニップンさん、一緒に食事をしていたある億万長者の友人にこんな質問を投げかけられたと言います。「私は長いこといろんなものを人に与えてきた。だから与えるということはわかるけど、受け取るというのがよくわからない。どういうことだ?」という疑問です。

「ギフトの冒険は、頭じゃなくて、体験によって掘り下げていくものだよ」とニップンさんは返事したそうです。

すると億万長者の友人が「じゃあ、あの見知らぬカップルの食事代をギフトしてみるよ」と言いました。匿名で親切なことをしようと、ウェイトレスに趣旨を説明して協力を仰ぎます。「ウェイトレスの女性はとても混乱していました。聞いたことのない話ですからね。そして、その説明をしている億万長者の友人は、どんどんワクワクしているんです。

カップル、ウェイトレスの女性、彼、そして私と、このギフトに関わった全員が喜びに包まれました。そこで友人に聞いたんです。『あなたは与えたのですか、それとも受け取ったのですか?』と。もちろん彼は食事代を贈りました。でも彼の笑顔を見れば、見知らぬカップルからお金ではない通貨を受け取ったことは明らかですよね」。

ギフト STEP3: ギフトの世界でダンスする。

最後のステップは、ギフトの世界でダンスすることだとそう。

「何かを与えると無意識に記録をとってしまいますよね。誰に何を与えた、というように。記録は頭を働かせて行うことだけど、ダンスは心に身を委ねること。損得勘定を手放し、ハートに従うことでギフトの世界で軽やかに踊ることができるんです」。

ニップンさんは今から15年ほど前、すべてを処分し夫婦でインド巡礼の旅に出かけました。ガンジーのアシュラムから始まって、インドを南下するという無銭旅行。与えられたものを食べ、与えられた場所で寝る、何も持たない片道切符の旅です。

旅の道すがらお世話になったある老夫婦に「一体君は、何をしているのか」と尋ねられたそうです。

「心を浄化しようとしているのです。歩きながら奉仕したいのです」とニップンさん。

すると、ダンナさんの方のおじいさんから「どこから旅を始めたのか?」と聞かれます。「アンダバという都市です」と答えると、「メンダバか」と言われました。

そこで「いいえ、アンダバです」「メンダバか」というやり取りが続いた結果、ついにニップンさんは「いいえ、ここから120キロほど行ったアンダバというところです」と説明しました。

すると「では君は巡礼していないんだね」とおじいさん。

「えっ、どういう意味ですか?」とニップンさんが尋ねます。

「だってあなたはまだ記録をとっているじゃないですか」と言われてしまったのだそうです。

「財産もキャリアも手放したのに、まだダンスしていなかったんです。“踊っているか”は持っているものや、行っていることでは決まらないのですね。それは心のあり方。頭で考えるのではなく、大切なのは実践と体験。記録を手放して心からギフトの世界に生きることです」。

「あれをしてもらったから、これを返さないと」

「これをしたから、あぁして欲しい」

ニップンさんと違って我が身を振り返れば、損得勘定のオンパレードです。赤面。

「ギフトの輪は一対一の与え合いじゃないんです。大勢と大勢の与え合い。だからあなたがギフトしたものがどこでいつ返ってくるかはわかりません。もしかしたら巡り巡ってあなたの子どもに与えられるのかもしれない。孫かもしれない、または従兄弟かもしれません。そういうことは重要じゃないんです。

大切なのは優しさの波紋を起こすこと。どんなに小さな優しさでも伝播していくからです。逆に言えばいじわるも同じ。ガンジー、マザー・テレサ、ダライ・ラマなど優しさの波紋を広げながら暴力的な行為を受け止めていった人たちがいます。私もそういう人になりたい」。

す、す、すごすぎる…。

言っていることを本当にやっているニップンさんなので、全く矛盾がありません。はたから見ると「良いこと」だけど、それはあくまでも自分の魂磨きのための冒険ということ。だから、「私は、良いことやってるよー」という押し付けもまったくないのです。なんか、楽しそう。

資本主義社会にどっぷり浸かった私も「これはひとつ自分なりに実験してみて判断してみたいな」とホームページからボランティアの申し込みをしたんです。

ダンスは踊れたのか?

奉仕日当日。『カルマ キッチン』に朝9時30分に到着したら、ユニフォームのTシャツが贈られました。

「もはや、ギフトを貰ってしまった」。

今日1日これを着て、その後もずっと持っていていいそうです。振り当てられたのはキッチンで、ラッシーなどのドリンクとデザート作りを高校生の女の子と担当することになりました。当時の私は、ほとんど英語が話せませんでした。そこでレシピを彼女が解読し、私はその動きを観察してコピーするという技で、スピーディに調理していきます。

その日は、過去最高の来店数。なんと90分待ちの行列だったらしく、ランチ時間はしっちゃかめっちゃか。ズブの素人の二人は、忙しすぎて笑いしか起こらないという状況に(でも、すごい良いコンビでした)。

そして、ギフト・エコロジーツアーのオーガナイザーだった栄里ちゃん、ツアー中に温かい食事を贈ってくれた若菜ちゃん、同じくツアー参加者の理子ちゃんの3人がお店まで様子を見に来てくれました。三人の顔を見たときは、涙が出そうになりました。

ふと子どもの頃に祖母と両親がピアノの発表会に来てくれたときのことを思い出しましたね。

「誰も知り合いが居なかった私にも、ようやくアメリカでつながりが出来てきたのかな」と。

最後はみんなで残った料理をいただいて、記念撮影。

ダンスが踊れたのかはわかりませんが、達成感とやりがいはすごくあった。

でも翌日はひどい筋肉痛で、サンフランシスコ最後の数日間はベッドで寝込みました(苦笑)。

やってみて私が感じたのは、大切なのは、自分が気持ちよく贈れるギフトを見つけることかなと。

人間はソーシャル・アニマル(社会的動物)と言われます。やはり、社会的なつながりなしには生きていけません。贈られていることに気づかず、当たり前に受け取っているものもあるし、贈っていることに気づいていないものもある。

この数年後に禅センターのキッチンやエサレン研究所のガーデンで奉仕し続けわかったことでもありますが。私の場合、ガーデン業務や料理でギフトするのは、持続可能では無いんだなと。たまの休日に山をおり、皿洗い用の大だらいを運び続けて痛めた腰の鍼治療に通いながら、そう実感しました。

とても残念なことだけど。

では木が太陽に向かってすくすく伸びていく。そして春がきたら花を咲かせて、そこに鳥が巣を作ったり、蜂が蜜をとりにやってくる。そんなふうに無理してやろうとして、とか、やらなきゃ、ではなくて。ただただ自然に自分の生命の輝きを溢れ出した結果、何かの役に立っていた、ということは何なんだろう? 

そんなことを模索し、一歩進んで二歩下がる。すごろくみたいな私の日々を記録しているのが、このマキワリ日記のホームページです。

さぁ泣いても笑ってもサンフランシスコ最終日! どこかスッキリした私は、スーツケースに荷物を詰めて半年前と同じ乗り合いバスに乗って、テキサスの伯父夫婦の家に向かったのです。

合わせて読みたい本:GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代

 

ー#12へ続く。