えたいの知れないものを受け入れ、答えが出ない事態に寛ぎたい。

kaya

従姉妹が、父を失った今は、「真空の時間にいるのでは」と、産経新聞のコラムを送ってくれました。桑原聡さんという方のコラムで、「待つこと」とは、「受け容れること」で、「祈ること」と同義なのかもしれないと書かれていました。

どうして「待つこと」が今の私なのかなとふと思ったあとに、たしかに、今の私は少し集中力が切れたような、エアポケットにある感じがするなぁと納得。

(写真)従姉妹のことが好きすぎて、実は猫にも同じ名前をつけてしまった。

今はもうジェットコースターから降りたようです。父の病状に一喜一憂したり、お世話に四苦八苦したり。入院中の場合だと、病院からの緊急の電話に対応したり、ケアマネージャーさんとの打ち合わせと仕事との調整をしたりする必要もありません。

お葬式を終えての日々は、想像していたよりもずっと穏やかです。ふたたび自由な時間も持てるようになり、苦しむ父の姿も見なくてもいいのです。

途方もない寂しさが漂いながらも、意外にも、どこかほっとしているところがあります。そこでありがたいことに「お父さんを亡くしてつらいね」と声をかけていただくと、確かにそのとおりなのですが、穏やかでくつろいでいる自分もいて驚くのです。

つまり、父という存在を失って悲しい気持ちと、はりつめ続けていたのが緩んだのと、この先の不安とが混じったような、不思議な感じです。

この感じがなんだかよくわからないし、うまく言い表すこともできません。

えたいが知れない。

では、私はこの感じがなんなのかの答えを「待って」いるのでしょうか。

それはちょっと違うような気もします。その答えを出す必要はなく、ただこの感じを味わい切るということなんだろうとわかっているからです。

そこで、この答えを出さない状態自体が「待つこと」なのかもしれません。

早くに父親を亡くし、父の姉である母親もみおくり、この感じを経験した従姉妹だからこそ、この「待つ」から連想するコラムを送ってくれたのかもしれません。

では、私にとって「待つこと」とはなんだろうと振り返ってみました。

ひとつに、私にとって「待つこと」は、信頼です。

それは相手やものに対してもそうだけど、待てることはむしろ私にとって、それらを信頼すると決めた自分への信頼です。その結果がどうなろうがいいわっていう、自分の選択とその後の成り行き、世界全体への信頼だと思います。

だから、待てないことが私にはたくさんありますね(苦笑)。

例えば本数が減った実家のバス。ネットでダウンロードした時刻表とは違い、雪のなかで30分間待たなければならないとなると、凍えそうで一気に不幸がやってきたみたいな感じになっちゃいます。

待てない。

そこで平静を保って、くつろげない。

そんな気分でいると、また不思議なもんで、一緒にバスを待つおばあさんに30分間延々と過疎化について愚痴をぶつけられたりするんですね。自分の思っていることが現実になるっていう感じで、待てないエネルギーが増長していく……。

一方で、なにごとにも少し余裕があれば、待てない私が待てたりするんです。目の前の現実や、それを選択してきた自分を信頼する力が復活するんですね。

たとえば、早めに出発したから時間の余裕があるとか、今日は温かくして出てきたから多少寒くても大丈夫とか、なんだかんだでも雪はキレイだなとか。そういった小さな余裕たちを集結させることで、焦る気持ちが薄れていく。だから、ゆとりを持つことは大切ですよね。

それから、私にとって「待つこと」には、あきらめもあります。言いかえれば、「待たざるを得ないな」って観念する感じです。

こういうと、先にお話しした、ゆとりを持つとは真逆のようにも聞こえます。でも、surrender(降伏)という英語の言葉もありますが、あきらめは委ねの境地でもあり、それは自分よりも大いなるものに身を任せる、余白を持つことでもあります。

そうそう浅はかな自分が望むばかりにはいかないよと。思いもしなかった先に面白い体験や、発見もあったしなと。叶わないと感じることがあっても、そこには私の小さな理解の枠を超えた、魂の計らいがあるのだからと。

だから「待つこと」には、私には、希望と絶望が共存するようなところがあります。その両方ともを、それらを超えるところで見ているような感じがします。

それは、心理学の“ネガティブ・ケイパビリティ”という言葉を連想させます。

この言葉は、臨床40年の精神家で小説家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)さんが書かれたネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 を読んで知りました。

ネガティブ・ケイパビリティとは、宙ぶらりんの状態に耐える力とか、答えが出ない事態を受け容れる力のようなものです。つまり、コントロールできない状態や、得体の知れないものをうけいれる力のこと。

私はこの能力が低く、ずっと苦しかったんです。器用にやれないわりに、昔は今に比べてもっとずっと、完璧にやりたいとか、やらないといけないっていうコントロール欲求が高かったように思います(今も当然ありますが)。

だから会社を辞めて渡米したときも、自分のことを楽しみきれなかったんですね。あんなに望んでいた自由な状態なのに、どこにでもいけて、なんでもできるのに、仕事や家庭、学校など、社会的にどこにも属していない宙ぶらりんな自分のことが不安で。

「うっそー。この自由を楽しめないと、どうするの?もったいないなぁー」とわかりつつも、自分で設定した枠を破壊しきれない自分のことがはがゆかったんです。

アメリカ時代の話:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。

しかし意外なところで、自由を謳歌することではなく、悲しみや苦しみを経験することで、宙ぶらりんの状態に寛ぐ力がついて、少し待てるようになっていきました。

たとえば、2年前にラムゼイ・ハント症候群という病気になったこともそのひとつです。私の体があらゆるコントロールを放棄し、動けない、歩けない、見えない、食べられない、聞こえない、話せない、メイクできない、外出できない、誰にも会いたくない。そんな状態になりました。

病気の話:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。

すると体がついてこないので、次第に頭も思いどおりにしようと試みるのを諦めるというか。もっと良い表現をすると、委ねのような境地に至りました。物わかりよくというよりも、無理をすると顔が動かなくなったり、いきなりバタンと倒れたりするので、そうせざるを得なくなって、その状態を1年ちょっと過ごしながら、まな板の上の鯉みたいな感じで腑に落としていったんです。

あれは本当嫌な体験だったけど、経験できてよかった。人生観が本当に変わったから。

だから、私の場合、衝撃的なことを体験すると、少しずつ、エゴのコントロールを手放すことができて、少しずつ自分よりも大きなものに身を委ねられるようになっていく感じがします。たとえばそれは、老いてやがて死するという自然の摂理であったりとか。大事な人を失うという運命は、その最たるものですよね。

身を委ねることは、自我を失っていくけれども、より真我に近づくようでもあります。失いながら、同時に手に入る。だから悲しいことを経験すると、それはなるべく体験したくないことではあるけれども、少しずつ「待てる」ようになるのかなぁとも思うんです。

真我について:プルシャとプラクリティ