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心の暗さや魂の不健全さは適切に使えば、名作に昇華される。
悲しみや怒りなどの負の感情はいけないもの。だからアファメーションや願望ノートなどでプラスに方向転換しようと言われたりもします。でも、心理学では昇華といって、満たされない葛藤や欲求は、陽転されると大きなパワーとなるので封じる必要はない。むしろしっかりと感じて存在を認めることで、自己実現の可能性があると言われています。実際、多くの作家や表現者たちが心の暗さであるコンプレックスや悲しみ、魂の不健全さという負のエネルギーを変容させ、受け手の心をつかむ作品に変えています。彼らは感情の食わず嫌いをせず、人や物事を映す自分の心を深く観察することで名作を生み出しました。そこで、村上春樹さんの対談集、アメリカ禅センターでの体験などから、創造性を開く昇華の力について考察してみました。
自分の仕事は人を観察することで、その価値を判断するところにはない(村上春樹さん)
村上春樹さんのインタビュー集を読んでいて、ハッとさせられたんです。
彼はある対談の中で、作家としての自分の仕事は人々と世界を観察することにあって、その価値を判断するところにはない。だから出会った人がどんな人間なのかを判断することは避けて、人や出来事をどんどん観察して、そのまま自分の中の引き出しにしまっておくのだそうです。それで、引き出しがいよいよ十分になってきたなというときに書き始めるとか。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 最近読んで一番勉強になった一冊。深いレクチャー(文章講座とかインタビュー・カウンセリング講座とか)を受講したような満足感がありました。本は会えない人からも学べる点が素晴らしいですね。
自分の暗い部分を見届けると創造の泉につながる。
また小説を書くときには、深い井戸を掘っていくように、自分の魂の不健全さ、歪んだところ、暗いところ、狂気をはらんだところを見ないとダメなんだそうです。その溜まりみたいなところに実際に降りて行って魂の不健康さを見届けるには、肉体が健康じゃないと出来ない。だから、村上春樹さんは早寝早起き、ジョギングや水泳で体調を整えるのだそうです。それも彼の書く仕事の一部なんですね。
「肉体は魂の神殿だから大切にしなさい」というのは、私がヨガのインストラクタートレーニングを受けていたときにも、禅センターやエサレン研究所で暮らしていたときも、本当によく言われてきました。昨年末に病気になったことで、良い機会だと自分の体を使ってさらに深く学び直しています。
参考:エサレン研究所で学んだメソッド:辛いのは無意識の選択のせい?自分を超えた大意識との繋がり方
心の不健全さを自己実現に活かす、昇華とは?
さて、心理学でも心の不健全さや歪んだところを創造性に活かし、より高度で社会的に認められる形で表現することを、昇華(sublimination)と呼びます。
アメリカに行く前、アンアン編集部にいたとき、作詞作曲される人気俳優さんにお話を伺ったことがあるんです。”好かれる性格になりたい!”みたいな特集でしたが、インタビューで彼は「自分の創作は、コンプレックスとか悲しみとか、そういう負のエネルギーから来ている。だから(そういう嫌われる感情も)大切な感情だ」と言ってくださったんですよね。巻頭でそう言い切ってくださったことで、特集が締まったと思いました。
負も正も受け止められる人は、感受性が強いだけではなく、波動も強いです。ネガティブな感情を封じ込めていると、日常生活の中でそれを引き出さないよう、無意識に自分の行動を制限してしまいます。そうではない波動が強い人は、現実エネルギーを動かす力もあります。
参考:マズローの心理学に見る、ハイヤーセルフとつながった人の特徴とは?
参考:3Dアニメ映画 『トゥルーノース』清水ハン栄治監督に聞く、どんな時も希望を指す心の羅針盤の見つけ方
前向きでいることばかりが良いわけではない。
私がアメリカの禅センターで暮らしていたときのことです。夕食を終えた21時頃でしょうか。翌日は休日だったので、何人かのレジデントで集まっていたんです。寮の真ん中にあるライブラリには、精神世界に関するたくさんの本と寝そべられる大きなソファがありました。そこで誰かが持っていたオラクルカードを引いて、それぞれ自分のインスピレーションでメッセージを読もうとなったんです。
するとオーストラリアから来たゲイのウォレンが引いたカードが、「オラクルカード?!」ってぐらいおぞましいイラストだったんです。確か、真ん中に大きな目玉があって、そこからうじ虫が沸いているというような……。
彼は、この目玉は自分であり、虫が沸いていて、今まさに朽ち果てようとしている…みたいな、絶望的で地獄みたいな自己診断を延々と続けるのです。
聞くに忍びず、私が「目はこちらをしっかり見据えているので、新しい再生の前の死ということじゃない?」と、前向きなメッセージに転向しようとしたんです。するとウォレンが「アヤ、君の何においても、ポジティブな視点を持とうとする姿勢は好きだよ。でも僕は今、どん底まで落ちて、自分の最も暗いところをとことん見届けたいんだ(だから邪魔してくれるな)」と言ったんですね。ものすごくハッとさせられたなぁ。
帰国してからアメリカで体験したことを何度かまとめようとしたんです。でも出来ない。アメリカで本当につらかったときのことを書こうとしても、記憶がおぼろげだったりしてよく思い出せないんです。そのときの日記を読んでも、どこかこういう風にみないと、という感じで書かれていたり。誰かのことを思って状況説明を省いたり。当時のブログに至っては、自分をおとしめる方向でなんとなく落ち着きどころを見つけて締めくくっていたりする。なんとかして丸く収めようとしているところがあるんです。ウォレンに比べて、当時の私は(今でも?)、暗い部分を見届けるのが怖かったんだろうなと思います。
コントロール欲求を手放すと、コントローラーが近づく。
でも、昨年末に病気になってから、ちょっと変わったんです。自分が一番怖かったこと(例えば一人で入退院するとか、左半分の顔が麻痺で崩れていくとか)を体験してみたことで、知らなかったときよりも、こういうことなんだと少し怖さが薄れたからです。
心配したり、どんなに想像しても、実際に体験するものと考えたものは違います。良くなってきたなと思ったら、寝不足や雨の日にまた具合が悪くなったり、わかったつもりでいてもまた知らない先がやってきます。また、時間が解決してくれることもあります。とは言っても、観察しきれているかというと、出来ていない部分もまだあります。
でも、前よりもちょっと離れたところから自分や人のことを観察できるようになったのと、人生をコントロールしたいという思いが少し手放されたことでコントローラーがより近づいた感じはします。
ある少林寺拳法のマスターが自己マスタリー(自分自身が心から望むヴィジョンや目的の実現に向けて真剣に生きようとする過程)についてお話しされていました。30人の登山家たちに登山や山頂の様子を聞いたから、もう十分だと山を登るのをやめてしまった人のたとえ話でした。それはもったいないことだ、人生の登り方はその人が自分の心と体を使って決めることだと言われていたんです。
だからきれいごとでも何でもなくって、人生に価値がない体験はないと思います。もっと言えば、自分の意識が筋書きを描いているのだなとも思います。山を登らないのもそうですが、景色を見ないで山頂目指して歩くだけというのも、なんだか味気ないですしね。
参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。
参考:病気が贈ってくれた、ホリスティックの真の意味とそのギフトについて
葛藤を笑いに昇華させる視点は、マインドフルネス。
小説でも映画でも音楽でも絵画でも記事でも、作り手とオーディエンスの深いラポール(心理的共鳴状態)が生まれるためには、意識に直接魂をつないで、そこからじゅわっと出てくるような深いものを届けないといけないんだろうと思います。それは、その暗さに呑まれず見届けることで叶うんだろうなぁ。
ウディ・アレンの映画『カフェ・ソサエティ』には、「人生なんて喜劇だよ。サディストの喜劇作家に書かれたね(Life is a comedy written by a sadistic comedy writer)」という台詞があります。
人生に起きる葛藤や悲劇すら喜劇に昇華するような、自分という主人公に対するどSな視点。口が達者でちょっとズルいけど、いつも面倒なことに巻き込まれてしまうユダヤ人の自分について面白おかしく描けるのは、自分のことを良いところもダメなところも客観的に観察できるからだと思います。
嫌な感情やそう感じさせる存在や自分の一面を認めてしっかり感じるけど、それらにのみこまれない。観察する。まさに瞑想であり、マインドフルネスという状態です。
はきだめみたいなものから生まれたものを、かすかな希望が感じられて、どこか笑えて胸に響く物語に。読み終わった人が、読む前よりもちょっとだけ気分が良くなる。私ももう少し心の井戸を深く見届けて、そんなものをつくれたらなぁと願います。
参考:ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法
参考:5分歩くだけで不安や怒りが消える。自分の部屋でできる歩く瞑想の行い方