その望みを叶えて、いまを十分生きれば、未来を描け、過去も癒されるという話。

今日は、カリフォルニアで暮らしていたときに買ったチュニックで外出してみました。帰国してからタンスの肥やしになっていた、カラフルな手刺繍が施されたメキシコ製のシャツです。こんなふうにいつか着る服、行きたい場所、話すことってありますね。それらを先延ばしにせず、「いつやるか?今でしょ!」と言ったのがカリスマ予備校講師の林修さん。私がその通りだと腹落ちした出来事とは、昨日まで動いていた顔が突然動かなくなった、昨年末にかかった重度の顔面マヒです。いまの自分の願いを叶えて、いまを十分生きることはその日暮らしで無責任なことではありません。むしろそれが変えられない過去を癒し、先の未来を望む形で描いてくれるんです。お話ししたいと思います。

着られずじまいだった洋服を「今日」着てみる。

写真のおとぼけ顔の私が試着しているメキシコ製のチュニック。アメリカでの苦学生時代に悩んだ末に、オークランドにあるヒップなお店で一目惚れして購入したものです。

でも、ちょっと派手な感じがして、なかなか着れずじまい。特に日本に帰国してからは、タンスの肥やしになっていました。

今年に入ってからいろんなものを譲ったり手放したりしたのですが、このシャツは、それが出来ませんでした。貯金とにらめっこして学費を払っていたのにもかかわらず思わず衝動買いし、心が温まった当時の思い出がよみがえるからです。今日ようやくアメリカから帰国して2年弱を経て、袖をとおすことができました! 雨の日にパッと明るい気持ちになりました。

いつか着る服、いつか訪ねる場所、いつか話すこと。憧れがあったり、ちょっとやってみるのに思い切りがいったりして、先のばしにしている物やことってあると思います。例えば私のような、なかなか着れずじまいになっている服を着てみるっていう、小さなこともそのひとつ。

今日できることが、明日突然できなくなることがある。

でも、当たり前のことですが、時間って永遠じゃないんです。今できるから、当然明日もできるだろうということでも、突然できなくなるってことってあるんです。

それを実感したのは、私の場合、昨年末にかかった重度の顔面マヒです。

参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。

顔の左半分がまったく動かなくなったことで、昨日まで当たり前のように飲んでいたコーヒーが飲めない。麺類に至っては、その後2か月程度食べることができませんでした。年末だったので、年越しそばが食べられなかったのが残念でした。

ひょっとこみたいなホラーな見た目もへこみますが、左目が閉じられないのって激痛なんです。コンタクトレンズも化粧も無理で、本やPCをみてもすぐ疲れてしまう。笑顔をつくることもできないので、しばらく親や友だちに会う気持ちにすらなれませんでした。体の動きが心にも左右し、さらには生き方にも影響が出るんだなぁと。



病気というネガティブな体験ではありましたが、本当に大事なことを教えてくれたなぁと思っています。頭でわかっていたようなことが、本当に腹落ちしたというか。

捉え方が変わったことで、過去のあの顔がまったく動かなかったという辛い体験は必然であり、今の自分がもっとラクに生きるために必要なことだったと痛感しています。そんな現在の解釈で顔面マヒという過去の体験は癒され、さらにもっと昔に起きた出来事も「なるほど、そういう意味だったんだなぁ」とようやく理解できたりもして。

この世界は本当に思ったことはそれで終了ではなく、それを感じたり、行動に移して体験しないと完了しないんだなぁと思います。

今を生きるとは、この瞬間こそが旬だと行動すること。

私が中学生のときに、「いまを生きる」という映画の演劇をしたことがあります。そこで私は、17世紀のイギリス詩人ロバート・ヘリックの「処女よ、時を大切にせよ(To the Virgins, to Make Much of Time) 」という詩を読む男子学生を演じました。

その詩が以下です。

Gather ye Rose-buds while ye may,
Old Time is still a-flying:
And this same flower that smiles to day,
To morrow will be dying.

意味は、「バラの蕾は早く摘め、時は過ぎゆく。今日咲き誇る花は明日枯れゆく」です。14歳の当時は、ふーんという感じでしたが、「なるほどなぁ」と今になって思います。

これは処女かどうかということではなくて、あなたが18歳でも75歳でも、いつでもこの瞬間のあなたこそが旬だということです。

私は37歳で会社を辞めてアメリカに行き、半分ぐらいの年齢の同級生に混じって心理学を学びました。そこで当時は、「自分は歳をとり過ぎている」「彼らに比べて、遅れをとっている」という劣等感のようなものがありました。

その思いは学校を終えて、禅センターで住み込み修行しているときにも根強くありました。区別性のない世界の成り立ちや、表面的な現れを超えた本質についてどんなに法話を聞いても、坐禅しても、頭ではわかっても、英語はネイティブのみんなのように話せないし、若い人たちに比べて体力はないしと心のどこかでは思うんですね。

すると、あるレジデントがこんなことを言ってくれたんです。

「アヤ、僕は今38歳だ。20代のベンに比べたら歳をとっているよ。でもね、38歳の僕っていうのは、これからの僕においていまが最も若く、旬なんだ。キミもそうなんだよ。わかるよね? 今この時間を大事にしよう」。

参考(禅センターなどアメリカで暮らしていたときの話):マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学

心から納得した今が未来を運び、過去の解釈を決める。

カリスマ予備校講師の林修さんの「いつやるか? 今でしょ!」という言葉がブームになりましたよね。この今を生きる、今日を楽しもう、やってみようじゃないかという姿勢は、その日暮らしで無責任ということじゃないんです。

こういう話をすると、今日が最後の1日だと思って過ごしても、それが100年つづくかもしれないじゃないか(だからリスクを取れない)ともよく言われます。でも、今日が最後の1日だと十分過ごしてそんな日が100年もつづいたら、儲けものじゃないですか。

それはいうならば、心から納得した今が未来を運んでくれるということです。そして、現在の視点から過去をみることで、すでに完了して変えられないように見える出来事も、私のように過去の解釈が変わることで癒やされていきます。結局のところ、現実とは、何に光と焦点を当てるかということだからです。

好きな服を着て(制服だったら、例えば好きなハンカチを忍ばせて。私は就活中にアロハ柄の靴下をこっそり履いていました)、ホッとできるものを読んだり飲んだりして、どうぞ今日も良い1日をお過ごしください。

参考:願う現実が引き寄せられないなら。微細な望みをキャッチし、叶える簡単なコツ