先月は1本も更新することができず、大変申し訳ありませんでした。にもかかわらず、こうして訪問し読んでくださり、本当にありがとうございます。
昨年12月に終末期に入った父の病状が急変。担当医の先生が協力してくださり、一時的に退院手続きを取らせてもらっていました。大晦日に父が再び入院し、自由な時間ができましたので皆さんへのお便りを綴っています。
訪問看護師やケアマネージャー、介護道具のレンタル会社の皆さんに、本当に助けていただきました。それでもなお、母と2人、1日23時間交代で介護するといった状況では、体力的にも心理的にも追い詰められていました。
腹水が溜まった父は痩せ細っていても、びっくりするぐらい重たいです。父の体位を変えたり、ベッドから起き上がらせたりの中心になるのは、私でした。トイレの世話も必要になりました。
慢性的になった腰痛はロキソニンテープを貼ってコルセットを閉めて誤魔化し、1時間半の仮眠を母と交代しながらとっていました。
最初思っていたのは、痛みを訴えたり、痩せ細ったり、いろんなことができなくなっていく父を目にすることがつらいだろう。また眠れなかったり重労働で、体力的にキツイだろうということです。
でも、実際に一番キツかったのは、どれだけなにをやっても父を満足させることができないことでした。
なにをやっても、父は毎回怒りました。
体の持ち上げ方が痛い、私の力が弱すぎる。氷の大きさが大きすぎる、小さすぎる。テーブルの上のものの並べ方はこうでないといけない。病院で使っていた同じ歯ブラシでないといけない。なぜ何度いってもわからないんだ。
薬の影響なのか、せん妄も入って性格が変わってしまった父の言動に、追い詰められていきました。たまに訪ねてくれる看護師さんや兄には機嫌よく振る舞ういっぽうで、母と私には、何かにつけて不満をぶつけました。
せん妄で日付けがわからなくなった父に日めくりカレンダーを作る。これではよく見えない、壁に一面に貼れるものにして欲しいと怒られ、カレンダーを2枚重ねた特大カレンダーを作り直す。今度は気に入ってもらえるといいなぁ。
抗がん剤治療を始めて1年4か月が経ちましたが、父の性格は、変わってしまいました。ちょっとしたことでもキレやすくなり、10月には生まれて始めて、父に殴られ蹴られました。アザができました。ショックでした。
そこでえぐられたのは、自分はダメなんだ。役に立てない自分は無価値なんだ。どれほどやったって、私には力がない。能力がない。私なんて存在する意味がないんだ。
さらには、兄と自分との比較です。父は退院日に彼を車から持ち上げられた兄に「長男を作っておいてよかった」といいました。
成績も優秀で有名大学の大学院を首席で卒業。大企業に勤め、自分の家族を持っている兄に比べて、自分はなんてダメなんだろう。
私は仕事もないし、家族もいない。これといった学歴も資格もない。父が亡くなった後は母をサポートし、母をみおくった後にはなんにもなくなるんだろう。
そのように深い部分では、ありのままの自分をダメだと痛感しているのだという事実に気づかされました。父の介護をとおし、深い部分で自分の闇、自分を心底嫌っているという自分の一面と向き合わざるを得なくなったのです。
父にマッサージをして「ありがとう」と言ってもらえるとき。父がベッドからメガネをかけて食事をしている母と私を幸せそうに見つめているとき。とても嬉しくなりました。自分が存在していてもいいのだなと思うことができました。
結局、父がどう振る舞うのかは表に現れた出来事にすぎません。それは私の心の内側にあるものを鏡のように映し出しています。
つまり、私が自分のことをどう思っているのか。それを見せてくれています。
私は深い部分では、条件付きの愛、つまり誰か(一番は親)に評価されない自分には価値がないと思っているのですね。そのことがよくわかりました。
役立てていない自分を許せていないのです。
参考:次元上昇と、未来のなりたい自分と繋がるために必要な「許し」について
カウンセリングやワークショップ、このブログでセルフコンパッションの大切さを訴えてきたのは、自分が心から必要としてきたからなんだなと思います。
それはアメリカでナバホ族の集落で死にかけ禅センターで学び続けたこと、2年前に患った重度の顔面麻痺の経験から、わかっていると思っていました。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学
でも親の介護を通して、自分の内側にある、さらにとてつもなく暗い部分と直面しています。玉ねぎの皮むきですね。
セッションや授業で皆さんに伝えてきたセルフコンパッションやマインドフルネス。私は理想主義に偏りすぎていて、皆さんの心に本当の意味で寄り添えていなかったのかもしれません。反省です。
自分の奥の悪魔の声、全く光がささない心の一部を見つめながら、そう思います。
自分を愛せよ。それは頭ではわかるけれども、心がついていけない。そんなときがある。
無価値観、無条件に自分を愛することの難しさは、親との関係性で深くえぐられます。
そしてエッジに立たされたときに、感情を感じることの難しさを痛感しています。
カウンセリング中にクライアントの方に言われた言葉。
「悲しいという気持ちを感じてしまったら、自分が壊れてしまいそうです」
その言葉が心にリフレインします。そして、私はその方の心に深く寄り添えていなかったのではないか。感じられない時間をも、大切にしてもらえばよかったのではないか。父が教えてくれているように思います。
たとえば今。父はまだ生きて病気と闘っているのに、そのときになるとやることが山積みになってしまうからとお願いされお葬式の手配をしたり、父のカードが使えなくなる前にと、母のクレジットカードを発行したり。
それが正しいことだとはわかりながらも、悲しい、つらいという感情を感じながら、目の前のものごとを進行・管理していく難しさ。感情を殺しながらものごとを進めていく自分の姿を見る、もう1人の自分がいます。
今私が悲しみを感じてしまったら、誰が母や父を支えることができるのでしょうか。すべてが終わった後に、私は再び笑うことができるのでしょうか。
まだまだ私はマインドフルネスやセルフコンパッションの途上にあります。父はそのプラクティスを深めるために、最期の命を使って、私という人間が打ち破るべき殻を見せてくれているのだと思います。
これからはもう少し、等身大の自分の想いを綴れたらなと思います。
もっと深いところで暗闇を包むことができたとき。そんなときがいつかきたとしたら、みなさんと一緒にセルフコンパッションやマインドフルネスのワークができたらいいなと思います。そんなときがまた来たらいいな。
最後まで読んでくださって、本当にありがとう。