自己肯定感とは、自分に正直にいて、自分自身を大切にできる力のこと。自己肯定感が高い人は、ありのままの自分の価値を信じて、自らの決断や目の前の現実を信頼することができます。つまり、自己肯定感を高めることは、自己実現や自己成長にもつながります。そこで必要なことは?映画『エブエブ』の衣装を手がけた日系アメリカ人のシャーリー・クラタさんのお言葉から、お話ししたいと思います。
目次
映画『エブエブ』のキッチュな世界は、自己肯定感の高さから誕生。
話題の映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(通称・エブエブ)。ミシェル・ヨーがアジア人初のアカデミー主演女優賞を受賞しましたね。
この映画の衣装を担当したのが日系アメリカ人のシャーリー・クラタさん。アカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされました。
彼女のファッションの源流は、日経に記事が載っていたのですが、80年代、90年代の東京発ストリートファッションでした。日本のファッション誌『Olive』や青木正一さんの『FRUiTS』などにも大きく影響を受けたとか。
それは当時スポーツウェア全盛期だったアメリカでは、ズレたファッションセンスでした。彼女のお母さんも、「変わった服の好みの子だなぁ」と思っていたのでしょう。オスカー候補となって初めて誇りにしてくれたとか。
それでも彼女は自分の美意識を曲げず、ずっと信じてきました。そして、ついには映画界でもっとも権威ある賞の受賞へとつながったのです。
そんな彼女が大切にしてきたことは、
「自分に正直にいて、自分だけの美意識と独自性を信じること」。
その独自性こそが世界が認めてくれるもの、と断言(※)。
(※)日本経済新聞 2023年3月19日付 The STYLE Fashion (ライター黒部ユリ)より
そこで感じたのは、彼女の自分を信じる力の強さ。自己肯定感の高さです。
参考:引き寄せ・願望実現の鉄則。願いを受けとるために一番必要なことは?
独自性を大切にすることで自己肯定感が高まる。
独自性というのは、他の人とは違う、その人独自の特徴や、センス、アイディアなどのこと。
つまり、独自性を大切にできる人は、自分が他の人とは異なると感じとることを受け入れられ(自分に許せ)、その考えや好みを自由に表現できます。
そして自己表現が自由にできると、ありのままの自分を理解してもらえる、愛してもらえるという安心感を得ることができます。それが自己肯定感を高めることにつながります。
理解や愛を求めるのは、まず自分。他人ではない。
ここで陥りがちなのが、ありのままの自分への理解や愛を、まず他人に求めてしまうことです。他者の評価ありきになると、自由に自己表現できなくなるんですね。
そうならないために大切なのは、まず、理解や愛を自分から自分に贈ります。
これは、私自身が、過去の自分にかけてあげたいメッセージでもあります。
8年ほど前のこと、当時の私は14年間勤めた会社を辞めて、渡米し、日々の悩みやあれこれを自由にブログに書き始めました。
そしてアメリカで暮らしている4年ほど連載していましたが、出版社の媒体だったので、自分でもびっくりするぐらいたくさんの方に読んでいただけることになりました。
タイトルを模したブログも現れ、知らない人がYouTubeで私の連載のまとめ投稿をしていたりもしていました。
となると、有名人でもなんでもない私のfacebookに知らない人からDMがたくさん届くようになりました。
正直いって予想外のことでした。
温かいコメントもありましたが、心ない言葉もありました。
心の準備ができていなかった私は疲れてしまって、facebookはやめてしまいました。
でも本当に自分に自信がある人間なら、人から馬鹿にされたり、評価されたりしても、そんなに気にならないはずですよね。
自分を信じ、目線はゴールを見ているから。
参考になる酷評と、ただの悪口の見極めもできるはずです。
でも、私はそうじゃなかったんですね。
参考:自己開示と自虐の違いって?「ダメな自分」を見せてもステキな人にはワケがある。
こじらせとは、自己評価が低いのにプライドは高い心理状態。
ありのままの自分を好きになれず、そんな自分をわかってもらいたいと、自分という人間の評価を読む人に受け渡してしまっていたのです。
それで、馬鹿にされることがトラウマに。
自己評価が低いのに、それを守ろうとするプライドは高いという、こじらせ(防衛)状態となっていたんです…。
となると私の心を映すように、自虐的な方が目に引くからとタイトルを変えられるようになり、「そんなふうに私って見られているんだ」「一生懸命頑張っているけど、痛いって思われているんだ…」と、ますます自分に自信がなくなっていきました。
自分に自信がなくなると、ありのままの自分の発言やアイディアにも自信がなくなります。「私が言うことなんて…」「普通の自分だと、面白く無いんだろうな」と。無理に自虐に走ったり、それが好きならいいのですが、本当はやりたくないようなメチャクチャなことをやってみたり。というように焦点が外だけに向いてしまうと、不思議なもんで、素直な自分を表に出すことができなくなる。となると、書けなくなるんですね。
あるいは逆に、心理学でいう反動形成が起きました。
「馬鹿にしないで。本当はこういうこともわかっているんだから」と、エンタメブログのテーマに合わないのに、アメリカ社会の動きや難しい心理学の論文紹介を書いてみたり…(汗。別の媒体なら良いと思いますが)。理想の自分を作り上げて、心が壊れないように防衛していたんですね。
残念! めちゃくちゃ迷走していたと思います
(担当さん、当時の読んでくださった方、すみませんでした🙏そしてありがとうございました🙏)。
自己表現を自由にするために、自分への理解と愛を育む方法。
だから、当時の自分に一番かけてあげたいのは、シャーリーさんの言葉です。
「自分に正直にいて、自分だけの美意識と独自性を信じること」。
で、なにも彼女のように大きな賞を取れというわけではなくて、
読んでくださる方に届けたいとするそのメッセージを話したり、書いたりしている自分が楽しいか。
その瞬間の自分が好きか。一番大切なのはそこ。
それを信じてあげたら大丈夫だよ、と言ってあげたいです。
その結果、それがどうなろうと、その思いは生き続けるからと。
迷走ののち、最終的に暮らしたアメリカの禅センター。
そこで出会った鎌倉時代の禅僧 道元の言葉もまた、
「全ては瞬間にある」とありました。
映画「エブエブ」のタイトル
Everything Everywhere All At Once(どこもかしこも、すべてがいっぺんに)
と同じ意味ですね。
【参考】禅センターでの暮らしなど:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。 アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。
過去も未来もなく、この瞬間に全てが存在するという意味です。
過去や未来にこだわることはなく、現在の瞬間に全力を尽くすことが、真の幸福につながるという考え方です。
禅センターでは、坐禅の時間だけでなく、料理や草むしりをしながらその考えを再三教わりました。
現在に集中し、今を大切に生きることが重要であるという意味が込められています。
そこで、言い換えれば、今の私は、過去の私と未来の私を同時に生きています。
だから、馬鹿にされたり、評価されたりして自己防衛しそうになっている自分に気づいたときは、怖いと思っている自分をしっかりと感じてあげる。
「そうなんだね」「怖いんだね」「嫌なんだね」と、未来の自分で寄り添ってあげる。
それで、そんなふうに思う自分は、人間が小さいとか、または相手がひどすぎるとかと、感じる前に方向転換したり、本当は怖いと思っているくせにその体験を「別に大したことない」と無理に小さくしたり、無いものだとして、抑圧しない。
そのまんま。
不自然なことをやっているのに気づいて、それをやめてみる、ということです。
不思議なもので、ありのままの思いをそのまま感じ切ると、抵抗する心が少しずつ落ち着いてきます。
さざ波が穏やかになっていくように。
波が落ち着くと、底にあるものが見えるようになります。
つまり、どうしたいのか。
何とつながりたいのかも感じられるようになります。
ありのままを変えようとするから、心がざわつくんだと思う。
ありのままがどうだとかということよりもむしろ。
そして、「自分に正直にいて、自分だけの美意識と独自性を信じること」。
その自分が楽しいか、その瞬間の自分が好きか。
それを信じてあげたら大丈夫だよ。
その結果、その思いの瞬間がつながった先に導かれていくよ。
自分以外の誰かになろうとしなくていいよ。
それは自分以外の誰かがやることだから。
そんなふうに自分に声かけてあげています。