望みが叶う周波数の秘密。願望実現と関係ない出来事で良い気分を感じてもOK。

trapped deer

エイブラハムの願望実現の法則では、願ったあとは、願望が叶った状態と同じ周波数を放つ(=良い気分でいる)ことで、現実創造のプログラムが始動します。その良い気分は、望みと関係ないジャンルや出来事で体験しても良いのです。先日野生の鹿と遭遇し、それを裏付ける驚きの出来事が。お話したいと思います。

望みが叶う、願望実現の法則とは?

私たちの望みや願望とは、たとえば

お金持ちになりたい、健康になりたい、仕事で成功したい、素敵なパートナーに出会いたい…。

分野やジャンル、程度もさまざまです。

そんな願望を実現させるための法則があるというのが、願望実現の法則。有名なのは、エイブラハムの教えです。

自分と似た(同じ)ものを現実化するというエイブラハムの教え

エイブラハムとは、私たち以上にいろんなことがわかっている知恵の存在。宇宙意識、ハイヤーセルフの集合体などとも言い換えられます。
エイブラハムの教えの基礎になるのは、自分と似た(同じ)ものを現実化するという仕組み。

引き寄せの法則」とも言われ、ベストセラーになっています。

本田健さんの翻訳の最新刊

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そこで説かれるのは、願望と同じ周波数(エネルギー)で共鳴することで、望むものを引き寄せられるというもの。願望実現の法則です。

同じ周波数(エネルギー)で共鳴する。

これを噛み砕くと、

Aの状態の現実は、Aの状態の人物に現れる。

Bの状態の現実は、Bの状態の人物に現れる。

そこで

Aの状態の現実は、Bの状態の人物には現れない。

ということです。

でも、状態とは何によって定まるのでしょうか。

それが周波数(エネルギー)ということですが、実際の行動を例に出してみます。

たとえば、お金持ちになりたいと願っていても、

「あれが買いたいのに買えないなぁ」「私は貧しいなぁ」「つらいなぁ」と感じていたら、

「あれが買いたいのに買えない」「私は貧しい」「つらい」という現実が現れるということ。

逆に、お金持ちになりたいと願っていて、

「私は満たされている」「快適だなぁ」、「欲しいものがいつでも手に入っているなぁ」と感じていたら、

「私は満たされている」「快適」「欲しいものがいつでも手に入る」という現実が現れるということ。

感じたものが現実になるという、エイブラハムの教え

とはいえ私たちが生きる世界は、物質世界なので、目に見えない思いだけでなく、行動にうつしなさいと言われたりもします。

そこで、お金持ちの真似をすると裕福になれるというので、「高級ホテルで高級なお茶を飲んでみよう」と行動に移したとします。

お金持ちになりたければ、お金を使いなさいと言われたりもしますよね。
お金を循環させよと。

そこで、ホテルで優雅にお茶をして、「あぁ美味しいなぁ」「満たされるなぁ」「ゆったりしたサービスが心地よいなぁ」と感じていれば、そういった感情は、意識と一体化します。

その結果、物質化の時差をおいたあとに、「満たされる」「心地いい」現実が現れます。

ところが、「え、コーヒーで¥2000?!高すぎる」「絶対にこれでお金持ちになれるよね!(なれないと困る)」「ランチ代をしばらく節約しないとなぁ…」という不安や不満、焦りや心配を感じていれば…。

その感情に連動した現実が、物質化の時差をおいて現れます。

つまり、同じ行動をとっていても、心の内側では違う思いを感じていれば、まったく別の現実化がされるということ。

というのも、恐れ、無力感、不安、怒り、心配、焦りといった感情は、豊かさと逆の性質を持つ周波数(エネルギー)だからです。

その周波数に見合った現実が創造されるんですね。

たとえ外側ではお金持ちそうな行動をとっていても、自分の内側では、そうではない感情を強く感じていれば、行動よりも感情に連動した現実化が始まるということです。

自分の周波数を知る方法

そこで、自分が今どんな周波数を放っているのかを自己診断することが大切です。

それが確認できるのが、エイブラハムの感情の22段階と、ホーキンス博士の17段階の意識マップです。

エイブラハムの感情の22段階

上にある感情ほど、周波数が高くてパワフルなもの。
下にいくほど、周波数が低く、重たいエネルギー状態となります。

1.喜び/智/溢れる活力/自由/愛/感謝
2.情熱
3.興奮/没頭/幸福感
4.ポジティブな期待/信念
5.楽観
6.希望
7.満足
8.退屈
9.悲観
10.フラストレーション/イライラ/我慢
11.圧迫感
12.落胆
13.疑念
14.心配
15.自責
16.挫折感
17.怒り
18.復讐心
19.憎しみ/激怒
20.嫉妬
21.不安(身の危険)/罪の意識/無価値
22.恐怖/悲嘆/憂鬱/絶望/無能

ホーキンス博士の17段階の意識マップ

高い周波数(エネルギー)の意識・感情のマップ
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デヴィッド・R・ホーキンス博士『パワーか、フォースか』より、引用・作成

高い周波数(エネルギー)の意識・感情のマップ

consciousness-map-2

power vs. force

参考:自分の周波数を知る方法。周波数を高めて幸せになるために重要なポイント

私たちの状態とは、何を思い、感じているか。

つまり、願望実現の法則で言われる「私たちの状態」というのは、内側で何を感じ、味わっているかということです。

外側のあれこれというよりもむしろ、私たちの感覚や感情が重要なカギを握ります。

これを応用したのが、予祝です。

今の現実がどうであれ「望ましいことがすでに起きた」という感情を、願望が実現する前に強く感じるというのが予祝です。

そうすることで物質化の時差を経たあと、その望ましい現実が物質化されるのです。

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『あなたはプラシーボ』ジョー・ディスペンザ博士著
予祝の仕組みも生理学的に詳しく説明。
事故で一生歩けなくなると
宣告されたが思考を通じて
自己ヒーリングした著者の
ニューヨークタイムズ紙のベストセラー。
最先端の神経科学、生物学、心理学、
催眠療法、行動による条件づけ、
量子力学などを駆使して
プラシーボ効果のメカニズムの謎を解き明かし、
不可能と思えることを可能にする方法を説く。
思考を物質に変えるための仕組みや
メソッドが科学的に書かれた本。

周波数と願望実現の深い関係

ではなぜ感覚や感情がカギを握るのでしょうか。そこで、周波数についておさらいしておきましょう。

周波数とは?

周波数とは、私たちの細胞内で原子(電子、陽子、中性子)が振動する速度のことです。
一秒間に繰り返される波のことで、ラジオ放送と同じ単位のHz(ヘルツ)で測定されます。

あらゆるものやこと、つまり思考、感情、自分、友人、仕事、家、猫、本やブログ、映画、などもまた、固有の周波数を持っています。

それぞれの周波数、振動パターンの速さがその違いを決定しています。

振動が速いものは、振動が高い、エネルギーが高い、周波数が高いと言われます。

よりゆっくり振動するものは、より低い振動、低いエネルギー、低い周波数と呼ばれます。
つまり、周波数の違いとは、私たちのそれぞれが放つエネルギーの違いです。

私たちは細胞からなっていますが、私たちとこの世界すべてを構成する99.99999%がエネルギーで、物質は0.00001%に過ぎないといわれます。

つまり、私たちの体をギュッと縮めて分子と分子のあいだに隙間がないようにすれば、塵ほどの大きさになってしまうということ。
つまり、私たちとこの世界は、物質としては実はほとんど存在していません。

大部分の99.999999%が空の空間(=目に見えないエネルギー)でできているということです。
その目に見えないけれど、確実に存在しているエネルギー(周波数)の違いが、目に見える違いをも決定づけています。

そして、目に見えない感情や感覚は、大部分をしめる99.99999%のエネルギーに属します。
そこで感情や感覚が、私たちの状態に大きく影響を与えるんですね。

特に霊感などがなくても、目に見えないなにかが力を持つことを、私たちは普段の生活で実感していませんか?

たとえば、怒っていたり、機嫌が良さそうだったり、余裕があったりなかったりという人の空気感。

これは、私が会社員時代、出版社の広告部で働いていたときのことです。

大きな広告企画を立てるときは、広告会社さんと編集長をまきこんで案を練る必要がありました。

そこでは大きな予算が動かせる一方で、やったことがないことをする必要もあり、面倒になりそうなことも多かったんです。

そこで毎日編集部に行って、編集長の様子を観察し、その日の相談内容を決めていました。

彼らがまとう感情のオーラのようなものがあり、別に霊能力などなくても、毎日様子を伺っているとそれが敏感に察知できるようになっていきます。

そして「あ、今は声をかけないでおこう」とか、「今日は機嫌が良さそうなので、相談してみよう」とか、感覚的に判断するんですね。

これが、目に見えないけれど感じられる、願望実現の法則における、私たちがAの状態か、Bの状態かというものです。

私たちがまとっている感情や感覚の周波数のことですね。

さらに、願望実現の法則では、さきほどお話しした”予祝”、つまり願望が叶った状態の”感情・感覚”を先取りして”感じる”ことで、その周波数に見合った現実が創造される(=願望が叶う)とも説かれます。

公園で野生の鹿に遭遇

そんな願望実現や周波数の仕組みを裏付けるような出来事が起きたんです。

先月のある日、いつも瞑想する公園で野生の鹿と遭遇しました。

その公園は、柵をはさんで森とつながっているというちょっとワイルドな場。

心理学を勉強していたアメリカのバークレーに住んでいたときに好きだった公園に似ていて、ここで過ごすと心が落ち着くんですね。

お気に入りの場所です。

そこで毎日通って、瞑想した後の良いエネルギーでブログを書いているんです。

そしてこの日は、公園のベンチに腰掛けてコーヒーを飲んでいたら、1匹の野生の子鹿がいたんです。

deer at park

鹿は、柵を越えて森に帰ろうとしていました。

そっと遠くから眺めていると、少し大きくなったバンビみたい。

ジャンプ力が足りないようで、なかなか柵を飛び越えられません。

あっちの柵に行ったりこっちの柵に行ったりうろうろするうちに、4分ほど経過。

そうこうするうちに焦った鹿がジャンプしきれず、柵にハマってしまったのです!

trapped deer

えーーーーーー

瞑想やブログどころではありません。

最初に思ったのが、このオラクルカードそっくりだなぁということ。

oracle card  

恋愛を得意とし、愛用する
『ロマンスエンジェル オラクルカード』

絵柄が可愛くて気分も上がります。
一方で心理学の共依存や家族の問題など、
ドキッとさせられるポイントを
ズバッと突いてくれるところもあります。

参考:もう1人で悩まなくてOK! オラクルカードで自分を超える答えを導き出す方法。

助けようと近づきますが、野生なので人に慣れておらず、大暴れ。

deer

私は土だらけに。

鹿はもがけばもがくほど、脚が柵に食い込み、血も滲んできました。

そこで「悪いことはしないから」と諭して、柵を動そうと押します。

けれども鉄製の柵は固く、さらに錆びついてもいて、頑として動きません。

鹿一匹人ひとりで途方に暮れていたら、
ついに鹿が「キーーーーーン」と、緊急事態だと鳴きました。

とても張り詰めた鋭い大きな音が響きました。

ジャングル大帝みたいに、森の獣たちが総出でやってきたら、怖いなぁとも思いましたが、なにもやってきません。

シーン…….。

鹿1匹と、人ひとりにふたたび絶望がのしかかってきます。

deer 2

なんとかしてよ….と見つめてくる鹿。

野生の世界は、生死がかかる事態でも、親子でも、厳しいなぁと痛感。

でも親鹿がやってきたところで、この柵からは抜けられないでしょう。

とても困りました。

「あぁ、どうしよう」と思ったところで、休日の日曜日。

市役所に連絡したところで、つながらないでしょう。

悩んだ末に、110番しました。

状況を説明すると「近くの警察署に伝えるけれど、(人命に関わる事態ではないので)人をよこせるかどうかわからない。また折り返します」と言われます。

そこで警察官が出動できない場合を踏まえ、一緒に鹿を救助できる人を探すことにしました。

10分ほど公園の前をうろうろしていたら、散歩中の70代ぐらいの男性が通りました。

彼をつかまえて事情を説明し、現場まで案内。

すると「柵のネジを工具で一旦はずして、柵を開いたら出してあげられるかもしれない」と男性。

力任せで動かそうとしていた私と違って、頭良すぎる!

「ここから家が5分ぐらいだから、帰って工具を持ってくるよ」と言って、自宅に戻ってくださいました。

ありがたい….😭と、男性を待つこと15分経過。

するとオートバイに乗った警察官の方が3名到着しました。

電話はなかったけど、直行してくれたんだ!!

警察官の皆さんに事情を説明し、柵にハマった鹿のいる場所へ。

「役所だったら、殺傷処分ということになるけど。助けてあげたいですよね」と警察官の方。

「はい!!お願いします!!!」と懇願しました。

ここで分かったのは、むしろ日曜日でよかったんです。
幸運でした。

というのも市役所から猟友会に依頼すると、捕獲駆除になってしまうのだとか。

つまり殺傷処分ということです。

自分が連絡した結果、さっきまで元気に動きまわっていたバンビが殺されるとか、悲しすぎて立ち直れなかったと思います…。

だから本当にラッキーでした。

しかも警察官の皆さんがとても親身になってくださり、ご近所さんに工具を借りて、柵を少し開けてくださいました。

しかし何度かトライしても、なかなか鹿が柵から抜けられません。

どんどん鹿も体力を失っていきます。

とはいえ柵を壊すことは、さすがにできません。

邪念抜きのまっすぐな祈りのパワー

そのとき、私は一心に祈りました。

どうか鹿が森に戻れますように。

そのときの祈りは、邪念抜きの本当に真っ直ぐな祈りでした。

私心がなく、他者の幸せを願う祈りってこういうことなんだなぁと、振り返れば思います。

それぐらい純粋に祈りました。

こういう祈りってパワーがあるんですよね。

警察官の皆さんが柵を開いて試行錯誤しているところで、ついに!!!

鹿が最後の力を振り絞って、柵を飛び越えて行きました。

その脚は可哀想なぐらい血だらけでした。

でも、森の向こうでふたたび走っている鹿の姿を見て、めちゃくちゃ感動したんです。

あぁーーーー本当によかったなぁーーーっと。

喜びと感謝で満たされました。

うわぁあああああーっと胸が開くようでした。

これが周波数の震え(振動数)なのじゃないかと。

そして、エイブラハムの感情の22段階でいうところの

1 喜び/智/溢れる活力/自由/愛/感謝
であり、

ホーキンス博士の高い周波数を持つ心の状態

悟り/平和/喜び/愛

の感覚なんだなぁ。

そう、体感覚から腑に落とすことができました。

それは、感謝と感動と愛が一緒になったような、力強いエネルギーでした。

映画やドラマを観ても感動しますよね。
でも受動的な感覚と、また違うんです。

もっと肉体の内側から共鳴するというか。
物理的な実感としても震えているというか。

じゃあ、これまでの体験のなにに似ているかというと。

たとえば編集者だったときだと、スタッフの皆さんと良い撮影ができて、とても良い写真が撮れたときに感じた感覚に似ているかな。

鹿に助かって欲しいという願いは、無私なる一心の願いでした。
ただただ鹿が自由になってほしいという気持ちでした。

そんな純度が高い周波数(エネルギー)だったことも、体感覚から震えが感じられたのだと思います。

鹿のおかげです。

鹿によって、「感動したときや純度が高い周波数(エネルギー)の感覚って、こういう感じだったなぁー」と思い出させてもらえたのですから。

そこで、鹿や警察官の方や関わってくださった皆さんにものすごく感謝したんです。

警察官の方に「本当にありがとうございますっっ」と言うと、「こんなことぐらいしかできませんけど…」と謙虚です。

そこで、「とんでもない!!この1か月でもっとも感動しました!」と言いました。

今思えば、なんで1か月とか期間を厳密に限定して伝えたんだと思いますけど(そこに正確性はいらない)😆

振り返って思えば、この体験の前に東京で古い知人たちと良い時間を過ごしたので、そのエネルギーも運んでくれた現実でもあったのかな。

強い感動・感謝を感じて願望が実現する

そして「あぁ、よかった」と帰宅しました。

でも「今日は、ブログが書けなかったなぁ…」と。

実は一年前から、こちらマキワリ日記とは別のブログもひっそりやっているんです。
名前を出さずに運営していますが、ほぼ毎日更新しています。

でもかなりひっそりだから、「もっと読んでもらうにはどうしたらいいんだろう?」と、ほそぼそと試行錯誤しています。

家に帰って「よし書こうか」とブログの管理画面を開くと、これまで見たことがない高いアクセス数がはじき出されていてびっくり。

え?! 今日は更新できていないのに?!?!

一年つづけて、1日のアクセス数がようやく200-300pv程度のブログなのですが、その日は800pv近くに。

約4倍のアクセス数です。

自分の二面性を認めて、統合させる

なぜそのブログをここで紹介しないかというと、書きはじめた理由が、自己受容の一環としてだから。

私にはずっと矛盾するように思えて、同時に存在することを認められなかった二面性があります。

「スピリチュアルな世界に惹かれる」一面と、「ファッションや美しいものが好きな」一面です。

どっちかじゃないといけないと、ずっと思い込んでいたんですね。

それらが両方とも自分の一面だと認めて、統合させるステップとして、そのブログを始めたんです。

つまりそのブログとは、「スピリチュアルな世界に惹かれる」自分を綴るマキワリ日記とは違って、アンアンや女性誌の編集者でもあった「ファッションや美しいものが好き」な自分を綴った内容です。

ここでそのブログを公表すると、また整合性を取ろうとして、「こっちでもこういうふうに書かないといけない」となりそうで、ひっそりやっているんです🙏

私には、会社を辞めてアメリカで心理学を学んだり、禅センターで住み込み修行し、毎日瞑想するような一面と、洋服や化粧品など美しいものやカルチャーに惹かれるという一面があります。

どちらも幼少期から両方持っていたものです。

子どもの頃も木や動物に話しかけたりする一方で、広告チラシの指輪を切って指に貼り付けてうっとりしていました。母の指輪をはめて抜けなくなり、消防署で切ってもらったこともあります(汗)

でも、アンアンにいたときは、ヨガのTTコースに通ったり、ティクナットハン禅師のマインドフルネス合宿に飛び込んで、毎日瞑想する自分の一面が「ハマっていない」と、悩んでいました(当時は今よりもずっと、瞑想=怪しいというイメージでした)。

その後、14年間勤めた会社を辞めてバークレー大学で心理学を学び、禅センターやスピリチュアルセンターで住み込み修行しました。

その時期は、古着か作務衣姿でノーメイク。髪の毛は禅センターの修行者同士でザク切りし合い、美しいものが好きな自分の心を押さえつけていました。

Goodwillというスリフトショップで、10ドルでジバンシーのシャツを見つけるとか、99cの売り切れゴメンのマンゴーをスプーンですくって食べ放題とか、楽しくもあったのですが(笑)。

新しいものを着ておしゃれしたいとか、カフェで好きなものを注文してみたいとか、本来ミーハーなところもある自分を隠して、「もっとつつましく」「もっと清貧であらねばならない」と無理をしていました。

そんな感じでずっと、華やかで俗世的な世界か、清貧であるスピリチュアル世界か、どちらかの世界を選ばなければいけないのに選べない、と自分を責めて、しんどかったんです。

でもどっちにもハマれない。

そんな等身大の自分の気持ちを正直にブログで書いていたら、編集者の先輩のひとりに、「どいちゃん、ブレブレ」とダメ出しされて、さらに落ち込んだりしていました。

そこで、「もっと精神的にも肉体的にも自分を鍛えよう」と、さらに清貧な生活に自分を追い込んでいきました。

極端!(いま思えば)

長くお金も稼いでいなかったので、お金を使うのもずっと怖かったんです。
そこで、食事を削ったり、冷暖房をつけなかったりと、自分が必要としているものですら与えようとしませんでした。

その結果、帰国して半年後に蕁麻疹が出て、

帰国1年半後でしょうか。
ついには顔面麻痺になって緊急入院しました💦

参考:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。 アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。 交通事故、顔面マヒで入院し気づいた私のお金のブロックを解除する

この病気は「美しいもの」「快適なもの」を欲し、「苦しいもの」「不快なもの」と拒絶する私の一面からの叫びでしょう。

それが長く抑圧され続けた結果、顔の左半分が動かなくなって、肉体的にも笑えなくなりました。

心の悲鳴を無視し続けた結果、最終的に肉体からの強制終了がかかったのです。

とてもわかりやすい象徴的な出来事だったと思います。

その後で少しずつ自分の心地よさや物質的な欲求も満たすようになっていきました。

退院後も一年半ほど通院していましたが、病気になって半年後の誕生日に、ホテルステイを自分に贈りました。

そこで何年かぶりにベッドで寝て(SIMMONSのマットレス!)、海につづくプールで泳いでいると、「あぁ、細胞全体が喜んでいる…」と痛感しました。

参考:願う現実が引き寄せられないなら。微細な望みをキャッチし、叶える簡単なコツ

あのときも「これが波動が高い状態だな」と実感しました。

すると、その日にアップされたウェブマガジンに書いた記事が、高いアクセス数をいただいたんです。

どうやら私の場合、

一生懸命原稿を書く→忘れた頃に投稿される(そのとき良い気分)→よく読まれる

という方程式があるようです。

そうこうするうちに、少しずつ顔が動くようになった矢先に、父が悪性リンパ腫になりました。

母と介護することになって、1年半後に父を看取って、思ったんです。

彼は、すごい先生でした。

命がけで、教えてくれたというか。

彼と過ごした日々は、先週できたことが簡単にできなくなってしまうような毎日でした。

当たり前にできることって、当たり前じゃないんだな。
すごく恵まれていることなんだなと、深く教わりました。

今でも思うのは、自力でトイレに行けるってすごく幸せなことなんだなということ。

それは父が教えてくれました。

だから何か作業に没頭していたり、ご飯を食べた後にのんびりしているときに、トイレに行きたくなるとめんどくさいじゃないですか。

そう思ったときに、ハッとして「自力でトイレに行けることは幸せなんだ。行かせてもらいます!」と思い返すようになりました。

これは本当に父が命懸けで教えてくれた最後のレッスンというか、大きな愛だと思います。

そして、ご飯を食べておいしいと思えることも、すごく幸せなこと。

抗がん剤治療で食欲がまったくなくなった父はもちろんですが、やっぱり家族が病気だと、自分が健康でもご飯がおいしくないんです。

入院中は、いつ病院から電話がかかってくるかなと気がかりだし、退院中は、いつ呼び出しがかかったり、体調が急変してしまうかなと。

いつも頭にそれがあって、100%解放されることはなく、気が休まりません。
いつも眠たいけど、ぐっすり寝ることはできない。

眠れることも幸せなんだな。

当たり前だと見逃していたけど、毎日は幸せなことが溢れていて、その積み重ねで1日を生かさせてもらっている。

少しずつ衰弱していったり、薬の影響や思うように動かない体のせいで要求が過多になったりする父とともに、心も体も疲れていきました。

それでも彼は、最後まで生きることを諦めませんでした。
喜びや平穏を見つけようと、体が動かなくなってからはずっと自然音楽を聴いていました。

すごいな。

生きているっていうことはただそれだけで、すごいことなんだな。

そして彼が亡くなって、喪失感は強く、とても寂しいです。

本当に誰も代わりになれない存在だったんだなと痛感します。

祖母を亡くしたときの衝撃も大きかったけど、親を失くすと、悲しみと心細さと、無力感が同時に襲ってきます。

もう1年半経ちますが、人生に限りがあるからとやる気が出た部分と、どこか虚しさみたいなものがある部分とが両方混在しています。

参考:亡き父を偲んで。闘病と臨終に立ち合い、父から教わった生と死について。

誰も代わりになれない存在だということは、すべての人がそうです。

良いところだけじゃなくて悪いところがあったとしても、誰も誰かの代わりにはなれないんです。

そこに大きな価値があるんですね。

となると、なんというか。

これまでの私は、とくにアンアンWEBで連載させてもらっていた『会社を辞めて、こうなった』では、何者かになりたいとずっともがいていました。

会社を勢いで辞めちゃったから、別の形で世間に認められないといけない。

そう思って、いろいろやるけどうまくいかない。

強盗にあったり、禅センターでは車にひかれたりもしました。

帰国後も、なんとか文章で仕事をしていきたいけど、思うような結果が出せない。

そうもがいてきたんです。

でも、自分の病気、そして父の最期を見させてもらって、「あぁすでにもう何者かなんだな」とストーンと落ちたんです。

何者かにならなくてもいい。

すでに何者かであることに気づく。

大海の海の一滴でありながら、大海そのものでもある。

だから、どっちかの世界を貫いている人の方が完璧に見えたとしても、自分にそう見えるその人はもう存在しているわけだから、私がその人になる必要はない。

もう何かに認められようと、自分を変えなくてもいい。

むしろ一つずつ、あるものを認めていく勇気を持って、あるいは手放しの作業をしていけばいい。

スピリチュアル好きでストイックなところもある私。
ファッションや美しいものが好きでミーハーなところもある私。

「このふたつともが私なんだな。どっちかである必要はない」

ストーンと腑に落ちました。

そして父が亡くなった半年後に、新しいブログを始めたんです。

マキワリ日記よりも気軽に書ける内容だから、ほぼ毎日更新して今でちょうど一年が経ちます。

でも本当にひっそりで😭
「もっと読んでもらいたいなぁー。そして、紹介した愛用品をお買い物してもらえたら、生活的にも助かるなー(どうやって生業につなげる?)」と思いながら、気長にやっていました。

そのブログが驚くほど読まれていたのです。

鹿の日に….。

キーーーーーーーーーン!!!!

すべては周波数で、ジャンルの違いは関係ない

そこで、改めて思ったのが、「すべてはエネルギー(周波数)なんだな」ということ。

エイブラハムの教えによる人生の方程式は、私たちが「貧しい」と感じていたら、貧しさを感じさせるものが引き寄せられる。「豊か」だと感じていたら、豊かさを感じさせるものが引き寄せられる。私たちが意識し、感じたもの(感情には22段階あるとされる)が現実を創るというものです。

鹿の救出劇で私が感じたのは、我を忘れるような、愛と感謝と喜びです。
震えるほどの感動です。

この話を友だちにすると、「鹿が恩返ししてくれたらいいね」と言われたけど、「いや、もう全然元は取れている以上だよ!あんな気分を体験してくれたんだもん。鹿さまさま」という感じです。

でもそれは、ブログとはまったく関係ない分野で感じたものでした。

つまり、その感情・感覚さえ味わえれば、その分野が願ったものと同じでなくてもいいんですね。

そして改めて痛感したのが、我を忘れるぐらいその感情を強く感じられると、より強い結果が導かれるということ。

「ブログは読まれたけど、紹介した商品は売れなかったなぁ…(ま、いっか)」と思っていたら、その1週間後にこれまでで最高記録の売り上げになりました。

望み直しまで現実化したので、さらに驚きました。

それだけ強い感情を感じて、高い周波数を放っていたということですね。

その後、ブログのアクセス数も売り上げもずっと高い…というわけではないのですが。(なかなかあの鹿の救出劇ほどの感動を味わえていないから)。

とにかくメカニズムを改めて腹落ちさせることができました。

やっぱり叶ったときの周波数(感情・感覚)でいることは、外側のあれこれよりもずっと大切なんだなぁと痛感しました。

そして、それがどんな感じかを思い出させてくれた鹿に感謝です。

そこで改めてエイブラハムの願望実現の6ステップを皆さんとともにおさらいしておきますね。

エイブラハムの願望実現の6ステップ

ステップ1
願いを放つ
(こうなりたいとオーダーを出す)

ステップ2
宇宙が願望(オーダー)を受ける

ステップ3
叶ったときの状態に周波数を合わせて
(叶ったときの感情・感覚でいて)
願望を受けとる

ステップ4
受けとるのがうまくなっていく

ステップ5
コントラスト(望んでいない状況)も楽しむ

(望まない状況に感情的に引っ張られない。
目の前の現実は、
私たちの過去の周波数の残像だから、
気にしすぎない。
常に望む感情・感覚に焦点を当てるようにする)

ステップ6
愛のまなざしで人生を捉える

(すべては私が幸せになるために
起きているんだと人生を俯瞰して捉える)

まとめ

今回は、願望実現の法則と周波数の関係性について掘り下げました。

願望実現で大切なのは、自分自身の周波数を高め、良い気分を保つこと。

そしてエイブラハムの教えによれば、願望実現には、
願いが叶ったときと同じ良い気分であることが大切です。

これは、望みとは関係のない出来事やジャンルで良い気分を感じることでも達成されます。

例えば、私が公園で野生の鹿と遭遇したときの感動や感謝が、ブログのアクセス数や売り上げにつながったように。このような良い気分になる体験が、願望の実現を加速させる周波数を生み出すのです。

いつも頑張っているみなさん。
ほっとできたり、楽しい気分になったり、喜びや感動に震えたり。

そんな思考や体験をぜひご自身に贈ってあげてください。

私たちの魂は永遠でしょうが、この肉体を持った人生は一度かぎりです。

あなたの命をどうか大切に。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました🫶

そしていつも拙筆を読んでくださったり、
紹介したご本をもAmazonで取り寄せて読んでくださったり。

応援してくださってありがとうございます🙏
心から感謝しています。

お役に立てれば嬉しいです。