このあいだ、人生って本当に必要なタイミングで必要な人と出会い、必要な言葉をかけてもらって、いっさいのムダがないなぁと思ったんです。記事の下取材のため、アメリカに住む友だちとzoomをしている最中に改めてそう感じたのですが、そのときに不覚にも号泣してしまいました。
取材中に号泣するライターってどうなんだ、ということはさておき…。
というのも彼女が「アヤがなんとかこっちで暮らせないかってアキヨさんと相談して、家を用意しようとしている。必要なものは、うちにあるものなんでも貸すから持っていったらいい」なんて言うんです。
なんということでしょう。ただただ驚いて言葉にならず、泣いてしまいました。
今の私といえば、日本で両親と過ごせたり、スムーズに会話できたり、日本語の本を読んで原稿を書いたりと、なかなか充実した毎日を過ごしています。だからアメリカで暮らしたいという切実さはないのですが、みんなに会えないのは寂しいなぁと思っていました。だから、その気持ちが嬉しかったんですね。
アメリカ生活の前半は強盗にあったりと散々でしたが、後半では、庭のりんごでアップルパイを焼いたとか、たくさん育ったしいたけを持ってきたとか。アメリカにいるのに、隣の家族に日本酒や酒のつまみまで借りに行く、小津安二郎の『東京物語』みたいな感じだったんです。私の生活は苦しかったけど、それでも周りの人たちに守られている感じがしたんですね。私がなにか困って頼む前に、先立って恩人たちが住める場所を探してくれたり、旅行に連れ出してくれたりするんです
キヨちゃんが庭のリンゴで焼いてくれたアップルパイ。さらには干し柿もつくって贈ってくれた。
とはいえそれに対して私ができることはあまり無く、ただ話を聞いたり、一緒に笑ったり、ときに掃除したり、たまにあまりおいしくもない料理を披露するぐらいでしたが、「それでもいいんだよ」「そのままそこに存在していていいんだよ」とみんなが教え続けてくれたように思います。
人生でそういう体験をすることはとても大切だと思います。自分という存在と世界への信頼感が増して、本当にパワフルになれるから。
とはいえ、5年の滞在ビザが切れて日本に帰国する前には、自分は何も達成していない、アメリカに来たときと何も変わっていないと焦ったりもしました。
でも、今は心から思います。これが私の今後の人生にとって一番大切なことだったんだなって。得たものは本当に大きかったです。
社会的ブランドも無く、仕事をオファーしたり、売り上げを出すというメリットが無い自分でも、「一緒にいたら楽しいよ」「なんともいえない面白さがあるよ」って言ってもらえたりするんだ。そう思わせてもらえる体験を贈ってもらえたことこそが、私の後の人生の宝物です。
だからこそ、それが本当に素敵なことだと多くの人に知ってもらいたいし、あなただってそうだよって伝えたいんです。
ひとりで苦しまなくてもいいよ。ちょっと肩の力を抜いてみたら、世界は優しいよ。あなたはそのままで価値があるんだよということを。
アメリカに行く前の私はどこかすべて自分でやっている、出来ているという驕りがあったように思います。
例えば東京で広告マーケティングをしたり、女性誌の編集者をしたりしているときは、企画を出して、一生懸命プレゼンを通して、お金を動かして利益を出して、お給料をもらって、家賃や光熱費、税金を払ってという一連の流れを、自分でやっていると思っていました。
当然、広告部だと広告会社さんやスポンサー、他部署も含めての上司や同僚、編集部だとカメラマンさんやスタイリストさん、タレントさんやアートディレクターの皆さんなどとのチームプレイなくして何も成立しません。私の出来ないことをやってくださる人たちとの関わり合いや協働無くして実現しないことは重々承知していました。
それでも、やはり自分は社会的に自立していると思っていたんです。やるだけのことをやっていると自負もしていました。
とくに離婚して、引っ越ししたその日のうちに洗濯機や冷蔵庫などの家電製品を新しくそろえて、ガスと水道の立ち合いをし、その足で会社に向かったときは、それを強く感じました。自分にはそういうことが一人でできるし、今までそうやってきたし、これからもそうだしと考えていたんです。おこがましい話です。
それって強そうですよね? でも、あのときのほうがむしろ今よりもろかったのではないかと思います。
お金を稼いでいたわりに、お客さんの気持ち、スタッフの気持ち、上司の気持ち、社長の気持ちをわかっていなかったんじゃないかな。
庭のりんごでアップルパイを焼いてくれたり、わたしが安心して住める場所を見つけようとしてくれたり、彼女たちは、一生懸命わたしを理解しようとして、なにをすれば嬉しいのかなと考えているんですね。それがサービスですよ、私という人をすっかり変えてしまうぐらいの。
このあいだも、これを読んでくださっている方から温かい応援メッセージをいただき、その思いの尊さに胸を打たれました。そういうことって心から大切なことですね。
齋藤一人さんが「命って、“人”は“一”度は“叩”かれると書きます」とお書きになっていたけど、その叩かれるときにこそ、何かバーンッと見えるものがあるんだと思います。命が開くというか。
私の場合は、一度全部失ってみること。八方塞がりになって追い込まれること。これが人生を自分の手に取り戻すために必要だったんだと思います。
昨年末に突然なった一生後遺症があるかもしれないと言われていた重度の顔面マヒも、半年たった今では、傍目にはそれとわからないぐらいすっかり良くなりました。担当の先生も驚かれるほどです。
この病気は、アメリカ前後の自分を合体させるためにも必要な出来事だったと思います。
失ったものを悔やんだこともありましたが、その期間も無駄ではありませんでした。そういうプロセスがあるということもよくわかったことで、自分の感じ方、伝え方、書き方を成長させられたからです。正しさよりも、もっと楽しさや優しさを伝えていこうと思うことができました。正しさはその前じゃなくて、先にあるものだと思います。
人と過ごせる時間は永遠ではありません。出会っては去っていく関係もあります。それでもそこで生まれた思いや気づきは確実に自分の中で生き続けます。だから、泣いたり笑ったり怒ったりして、やっぱり人生はいっさいのムダなしだと思うんです。