ゲシュタルト崩壊とは、まとまりある構造が全体性を失ってバラバラになってしまうこと。もっとわかりやすくいえば、自分のなかで当たり前だと思っていた物の見方が崩壊することです。それにともなって、思考や心のバランスが崩れて認識力が低下する心理状態もゲシュタルト崩壊と呼ばれます。これまでの自分や世界が変わってしまうようで、不安や恐れを抱くかもしれません。けれどもそれは新しい世界に向かうサイン。意識の拡大を迎えているというしるしです。
目次
新しい世界に向かうときに迎えるゲシュタルト崩壊とは?
ゲシュタルトとは?
ゲシュタルト(Gestalt)というのは、もともと「かたち」という意味のドイツ語です。部分からは導くことができない、まとまった構造を持ったもののこと。ゲシュタルト心理学からの概念で、「部分をすべて足したものだからといって、それが全体のもつ特徴とイコールではない」という考えからきています。
たとえばゲシュタルトの「シ」という文字は、「、」と「ン」という部分からなっていますよね。けれども、それだけでは「シ」なんだという全体は語れません。
また私はバナナケーキをよく焼きますが、その材料は、バナナと卵と小麦粉と砂糖と油と牛乳とクルミとベーキングパウダーです。
その材料ぜんぶと、それを使って完成したバナナケーキは別物ですよね。味も食感も、それを食した後の自分の反応も全部違うわけです。
つまり、全体(バナナケーキ)は、部分(材料)から成り立つと同時に、全体と部分は双方向に関係しています。全体のことがわかることで「あの材料からできているんだな」と部分のこともわかるといったように、です。
ゲシュタルト崩壊と言われると、悪いイメージも持たれます。
驚愕法などの洗脳の一種がその例です。
驚愕法とは、「あれをしないと悪いことが起きる」などと恐怖心をあおって強い感情的な揺さぶりをかけ、その人の認識力を低下させてコントロールすること。
ゲシュタルト崩壊をさせることで、その人の通常の判断を鈍らせるのです。
けれども強い感情にトラップされなければ、ゲシュタルト崩壊は、思考のOSをアップデートさせるために役立ちます。
なにをもってカレー料理とするの?
たとえば私がインドを旅行したときに、カレー問題というゲシュタルト崩壊をむかえました。
友人と二人で店に入り、「ベジタリアン料理から一品頼むわ。魚料理から一品選ぶの? やったー、じゃあシェアしよう」と注文。しかし、どちらも出てくるのはカレーでした。
厳密にいえば、それはカレーのスパイスで味つけされた野菜と魚の煮込み料理。つまりは、日本でいうところの、どの料理も基本的に醤油で味つけされていますよね、ってことだと思います。
しかしスパイス料理を毎食いただくわけではない日本人にとっては、紛れもなくカレーなわけです。どの店に入ってもそれは同じ。10日間の滞在で大量のスパイス摂取により、帰国後1か月間の下痢なり、という洗礼も受けました(苦笑)。
インドでは、カレーなんてくくりは基本ない。
この事実は、私のゲシュタルトを崩壊させました。
カレーで使われるスパイスの煮込み料理は、カレーだという全体性の公式が崩れたのです。しかもカレーの本場なはずの国で。
ゲシュタルト崩壊では、葛藤や恐れが起きる。
これは些細な例ですが、ゲシュタルト崩壊が起きるときに私たちは葛藤や恐れを抱きます。
このルールで生きよう、その中で安定しようと思っていたのに、その公式が役に立たないと狼狽するからです。
またゲシュタルト崩壊を迎えると、自分という人間も変わることになります。世界を認識する公式がアップデートされて、物事の解釈が変わるからです。
今の自分を失うというのは、エゴ(分離を伴う自己意識)がとても恐れることです。
過去にやってきたことがすべて無駄で失敗だったような、そんな気がするからです。
過去の自分は失わない。意識が拡大しているだけ。
けれどもそれは、あなたはもうその古い枠組みでは収まらないほど意識の拡大を迎えているということ。古い世界を失うというよりも、古いものを内包するぐらいに世界が広がる前の出来事なのです。
つまりゲシュタルト崩壊とは、ゲシュタルト以前の世界を経たからこそ迎えたことです。決して、あなたの世界が狭まったり、過去(の自分)を失うことにはなりません。安心してください。
とはいえ崩壊後の自分は、今の常識や倫理観とはまったく違う場所に行き着くように感じられるかもしれません。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。
これまで執着していたものに興味を失ったり、逆にまったく気にならなかったことに心惹かれるようになるかもしれないからです。
どうかそのことに不安にならないでください。
あなたの世界は辺境に向かっているのではなく、あなたを失ってしまうわけでもなく、過去の自分を包み込んで拡大しているということですから。
そこでは、部分(エゴ)の自分と全体(ハイヤーセルフ)の自分が双方向で成り立っていることに気づきます。新たなゲシュタルトが形成されるのです。
それは、部分も全体も内包する本来の本質に戻っているということ。
参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法
苫米地博士の言葉を借りれば、自分のなかに、部分(現状の自分)と全体(ゴールの自分)という両方が存在することを知るということです。
いきなり魔法のようなことは起きません。
でもそんなふうにどちらかではなく、どちらも否定せずに橋をかけて行き来すれば…
ある日ふと気づいたときに、木の葉にあたる光のきらめきに心がうたれたり、空を染める夕焼けの美しさで深い感動に包まれるはずです。