カルマとは何か?人生における3つの現れ方、カルマを解消する方法とは

「目には目を、歯には歯を」という罰則のような怖いイメージもあるカルマ(業)。サンスクリット語で行為や創造を意味し、そもそもの意味には良いも悪いもありません。出したエネルギーが返ってくるというのは、キリスト教や仏教を始めの宗教や物理学でも説かれる法則です。カルマは、私たちがもっと自然に、ラクに、パワフルになるための気づきのチャンス。そこでカルマの3つの現れ方、カルマを活かして解消する方法を紐解きます。

カルマとは何か?

カルマ(業)は、「行為」や「創造」を意味するサンスクリット語です。それは私たちが「やったこと」であり、「生み出したもの」ということです。

つまり、カルマは原因をつくりだすものであり、その原因に伴う結果です。

カルマと聞くと、仕返しや自分が背負う罰則、という怖いイメージもありますね。

たとえば前世療法などでは、折り合いが悪い義母との関係に悩んでいた女性が、実は過去生では自分が姑で嫁だった彼女をひどくいじめていた…。

そう知ることで、理不尽に感じていた彼女の意地悪にも納得がいき、かたくなな心が緩んだことで
関係性が解消される…。

そんなエピソードもありますね。

そこで、どうしてもカルマには嫌なイメージが強くなるんですね。

けれどもカルマとは、サンスクリット語のもともとの意味では良いも悪いもありません。

私たちが抱く罰や、報復的なものではないんですね。

また、前世療法の例のように、

参考:前世療法とは? 自分の前世を知って問題から自由になり、今の人生を大切に生きる方法

カルマといえば今世だけでなく、死ぬ前の前世から持ち越したものというイメージもあります。

つまり前世からの持ち越されたカルマの影響で、人生がうまくいったりいかなかったりするという考えです。

その背景となるのは、ヒンドゥー教や仏教における輪廻転生の教えです。

古いウパニシャッド(サンスクリット語で書かれた仏教以前の奥義書)では、

人が死ぬとその人の体に宿っていた
アートマン(個体の生命原理)が体から抜け出し、
人生で得た学習、行った行為の予習(カルマ)がくっついていく

と言われています。

わかりやすい場合は、アートマンを魂やスピリットと言い換えてもいいかもしれません。

つまり肉体の「死」を迎えると、カルマの傾向性を帯びた魂が肉体を離れて、その魂が新しい肉体と人生で転生されるということです。

そこでカルマは、魂にくっついた個人的なストーリーのようなもの。

良いも悪いもありません。

それを「良い」や「悪い」とするのは、私たちの観念(ものごとの解釈や意味づけ)です。

その人が放ち形作ってきたエネルギーの傾向性のようなものです。

宗教、物理学も説くカルマ『因果応報の教え』

このようなカルマの教えは、スピリチュアルにとどまらず宗教や物理学でも語られます。

こちらはキリスト教の有名な教えです。

「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります」

ガラテヤの信徒への手紙 6章7節

仏教にも「縁起」といって、「原因に縁って結果が起きる」という法則があります。

つまり、良いことも悪いことも自分がやったことが返ってくるということ。

日常生活でも耳にする「因果応報」のことです。

すべては、自らの行いで起きた結果や報いだとする教えです。

行いというのは、
行動だけでなく、
思ったことや考えたことも含まれます。

目に見える行動も、
目に見えない思いもエネルギーなので、
自分が放ったエネルギーと
同じものが自分に返ってくるということですね。

エネルギーの観点でいえば、
物理学の「反作用」でも

AがBをすれば、
等しく反対の力が作用してBがAをする。

と言われます。

ギュッと伸ばした輪ゴムが
もとに戻ろうとして
自分の指をパチンッと弾くイメージです。

また量子力学では、

観測されたものの結果は、
観測者の意識(思い)で変わる

とも考えられています。

つまり、
目に見えない「思ったこと」や「考えたこと」も
結果を変えるエネルギーとなり、
その結果を導いたエネルギーが
自分に返ってくるということです。

カルマの
やったことが返ってくるという法則は、

宗教でも科学でも語られる普遍の真理、
宇宙の法則のようなものなのです。

カルマを解消する方法

つまりカルマ(業)を解消する方法は、まず自分のパターン(思い、考え、行動) に気づくこと。

気づきとは、目の前のストーリーにのめり混んで、それと自分を一体化せず、客観的な視点から現状を捉えること。

そして、起きている物事を俯瞰して、何をどう変えたいのか、どうすればより良い選択になるのかを明確に把握することです。

そうではなく、自分自身がそのストーリー(カルマ)そのものだと強く思い込むことで、カルマが持つ傾向性は繰り返されます。

思いもまた、業(カルマ)をつくるからです。

つまりカルマとは、気づきを得る機会であり、その気づきによってストーリーの束縛を受けなくなると、ひとつカルマの学びが終わります。

つまりカルマが解消されるということです。

【さらに詳しく】自分のカルマ(業)を知るには? 悪いカルマを解消できる具体的な方法

カルマが消えるときに起きること

カルマが消えるときには、今までずっと不快だったこと、引きずっていたことが驚くほど気にならなくなったりもします。

また関係性においても、学びを終えると不快だったことが気にならなくなったり、求めていたことが必要に感じなくなったり、その人が目の前に登場しなくなったりもするでしょう。

そこで無くなること、失うことを不安に感じることはありません。

私たちはエネルギーの総体なので、あるものが去っても、必ず自分のエネルギーに引き合う人や物事が登場します。

そこで向き合い方次第で、カルマとはありがたい、私たちがもっと自然に、ラクに、パワフルに生きるためのチャンスなのです。

私たちは絶えず循環する、進化に向かうエネルギーの集合体。

またカルマを消滅させる「気づき」を得るために役立つのが、私たちそもそもの成り立ちに気づくことです。

つまり、私たちはそれぞれにカルマという一つの傾向性(周波数)を帯びたエネルギー体であると、知ること。

天才物理学者アインシュタインが発表したE=mc2(エネルギー=質量に光の速度の二乗をかけたもの)という数式では、質量とエネルギーは入れ替え可能、つまり物質とエネルギーが同じと説明されます。

つまり、ここで語られるのは、この世界に存在するものは、すべて物質であり、同時にエネルギーだということ。
私たちの思い、行動、肉体も同じく、エネルギーなのです。

さらに厳密にいえば、ジョー・ディスペンザ博士は、私たちと世界に存在するすべてのものは、99.99999%がエネルギーで、0.00001%が物質からなると言います。つまり物質としてはほとんど存在しておらず、むしろエネルギー場であり、情報の周波数のパターンということ。

私たちは、あるパターンの周波数を帯びたエネルギー体なんですね。

↑意識の力がいかに結果(現実)に影響を与えるかを脳科学的に説明。スピリチュアルに興味があるけど、それだけでは納得できない私のような人にオススメです。体感覚を使って意識を変容させる瞑想法もあります。博士は、ラトガーズ大学で生化学を学ぶ。神経化学分野を専門とした理学士号を取得。ジョージア州アトランタのライフ大学でカイロプラクティックの博士号を取得。

参考:自分の周波数を知る方法。周波数を高めて幸せになるために重要なポイント

物質は、周波数(次元)によってそれぞれの現れ方があります。
それをスピリチュアル世界では“波動の違い”とか、物理学の世界では“素粒子(フォトンと呼ばれる構成物の最小単位)の回転速度の違い”と言ったりします。

私たちはそれぞれにカルマという一つの傾向性(周波数)を帯びたエネルギー体なんですね。

そして周波数を高いや低いと言われますが、そこに良いも悪いもありません。
存在するということは、宇宙に存在を許可されているということ。

そして私たちが同じではなく、個別の周波数を持つに至ったのは、神または大いなるすべてである万物の法則が「分裂する」概念に興味を抱き、冒険できるような領域を創造したためとも言われます。

光と闇、善と悪、男と女、新と旧といった対立しているように見えているものも、すべて大いなるすべての一部。大海の一滴の水、同じものをある周波数にしたときの現れです。




つまり私たちの起源は、すべてを創造する大いなるもの。

諸行無常という言葉にもあるように、カルマを帯びながら絶えず状態を変えて循環し、進化に向かうとてもパワフルなエネルギー体です

そこで真の哲学は、私たちは個別の存在でありながら、同時に全体の一部であると説いています。

海の一滴の海水が、海水であり、海でもあるようにです。

マインドフルネスを世界に広めたティク・ナット・ハン禅師もまた、インタービーイング(interbeing)という言葉で、すべての生命は依存しあって切っても切り離せない関係にあり、すべてが全体として大切な役割を演じていると説いています。

参考:イライラ、不安が軽減する!呼吸3つでできるマインドフルネス

カルマは、真の自分に向かう機会。怖いものではない。

つまりカルマとは、私たちが大河である真の自分に気づくためのものです。

「真の起源を忘れていますよ(=自由意志を持った、とてもパワフルな存在ですよ)」「あなたはストーリーではありませんよ」ということを気づかせるために、カルマという出来事で目の前に現れているのです。

アルケミスト 夢を旅した少年』で、王様である老人が少年に言う

人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうということだ。それが世界最大のうそじゃよ。

です。

世界22カ国で読まれているベストセラー。おとぎ話を読みながら、人生の知恵、大いなる源の法則を自然にまなべる。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。夢を旅した少年サンチャゴの物語。

”世界最大のうそ”に気づくために、すべての行為に対して大いなる源がそれに応じたものを返すというのがカルマの法則です。

それは罰ではなく、魂を研磨するためのもの。

怖いものではないんです。

だから、カルマとか業という言葉であなたに不安や恐怖を抱かせる人がいたら、一歩引いて見てください。驚愕法という洗脳の一種にかけられているのかもしれません。

カルマとは、その人の魂を高め、良い方向に変えていく(=真の起源に戻る)可能性がもっとも高い出来事です。

このブログは動画で観ることもできます。

試練に見える物事も、こだわりを捨てて開かれた意識を持ったとき、自分自身と世界を深い思いやりと調和の心で見られるようになります。

ストーリーに深くのめり続けると、それに気づくまで形を変えて同じような気分になる状況やカルマで結びついた関係性が現れます。

あなたはもう、そのパターンをもう繰り返さなくて良いのです。

参考:病気が贈ってくれた、ホリスティックの真の意味とそのギフトについて




人生における3種類のカルマの現れ方。

ベストセラー作家テッド・アンドリューズは、人生におけるカルマの現れ方には以下の3つの形があると著書『自分の前世! がわかる本』で語ります。

1. ブーメラン型:誰かを傷つければ自分も傷つけられ、誰かを助ければ自分も助けられると言うもの。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の世界観。
2. 生物型:誰かを身体的に虐待した場合―たとえば失明させた場合、次の生で目の見えない子どもに生まれる可能性がある。
3. 象徴カルマ型:人の話に耳を貸さず一生を送ると、次の生で耳に障害が現れる可能性がある。逆に、他の人の良い面を探すようにしていれば、次の生では直観や認識力が高まる可能性がある。

ただし、カルマの原則において、何かやったことに対して同じことが自分に起きるとは限らないとアンドリューズ氏は補足します。

極端な話でいえば、現世や過去生で怒りや暴力によって殺人を犯したとしても、現世で殺されるとは限りません。虐待されている人が、必ずしも過去に誰かを虐待していたと言い切れないのはこのためです。

怒りや暴力の衝動に対して魂の成長を促す、その人にとって最も適した状況が現れるというのです。

同じ殺人でも、動機が怒りや暴力ではなく不注意だったとしたら、その動機に合わせた、次に正しい選択ができる機会が現れるのだとか。

殺人や虐待というと当然否定的なものなので、情け容赦のない罰則のように見えます。

また、生まれたばかりの赤ちゃんが虐待されるのは、前世で悪いことをしたからか?!と納得もできません。

カルマには個人レベルだけではなく、集団や種族・集合意識レベルのものもあります。ある個人にそれが強く発現する場合もあり、その現れ方には不確定要素もあります。

一つの学びでも、さまざまなバリエーションや状況があって、必ずしもやった行為が同じようにカルマとして返ってくるのではありません。

その行為がまとうエネルギー、考え方に裏打ちされた感じ方、をより自然な魂の方向性に変容させるような状況が現れるというのです。

またそれぞれの魂によって成長段階が違い、学びの内容も異なります。ハード設定の人もいれば、ソフト設定の人もいます。結果の現れ方も違います。

ただユダヤ人であるという理由だけでアウシュヴィッツ収容所に入れられる時代に生まれることも、何世代先の時代に大富豪の二世として誕生する場合もあります。

不条理にも見えますが、分離から統合に向かうというのがすべてのカルマが魂を導く共通する方向性です。

魂とは、大いなる源の現れ。異なるものに見えて、元をたどれば同じものからやってきた一つの現れなのです。最終的には同じ性質のものになっていく(統合する)ために、魂を研磨させるような出来事、カルマが生じます。

それは、純粋無垢な意識の状態(=自由意志を持った、とてもパワフルな存在)に向かうための出来事です。

そんな自分に必要な学びを与え、成長を促すために最適な親と環境を、すべての赤ちゃんは自分で選んでくると、前世を記憶する日本の子どもたち』の著者で産婦人科医の池川明先生は語っています。

まとめ

カルマに裏打ちされた人生のあれこれは、すべて統合(魂の起源)に向かうものだと理解すれば、ゴールに達することが重要なのではなく、そこに至る過程を楽しむことが大切だというのがわかります。

ゲームの結果ではなく、いかにゲームをプレイするかということです。

多くのグルと呼ばれる人たちが、Doing(行動)やHaving(結果)よりもBeing(存在)としてのパワーを強調するのがこのためです。

それは、すべてのストーリーを泰然として観察するような存在です。

カルマの役割は、“どんなときでも、あなたは自由意志を持った、とてもパワフルな存在ですよ”と気づかせてくれることです。つまり、カルマはその知恵を得ることで帳消しになります。怖いものではないのです。

最後までお読みくださりありがとうございました。

以下の関連記事もぜひご参照ください。

参考:感情の22段階と現実の7次元について。忘却のゲームから抜けて、統合に向かうためには