このところ自分の好きを仕事にしている方々のお話を伺って、記事にしていました。脚本を書いたこともアニメ映画を作ったことも資金集めもしたことがなかった方が世界で賞を総なめする話題の映画を作りあげたり、エリート教育を受けて保障された職についていた方が、魂の自分とつながって好きなお菓子作りを生業にし循環型の暮らしを家族と生きていたり、ビザなし所持金なしで渡米した方が、カリフォルニアの有機農園オーナーになっていたり。みなさん好きを仕事にできて、キラキラと仕事を自己表現の場にしていらっしゃいます。そんな彼らに共通点があったので、お話ししたいと思います。
目次
共通点1 自分の好きを仕事にできる人たちは、気持ちがいい。
まず皆、本当に気持ちがいい人たちでした。自分で自分の機嫌を取れているから、こちらの気持ちを配慮する余裕もあるんだろうなと思います。やり取りのレスポンスは早いし、文面からも心遣いが滲み出ている。勉強になります。
そして彼らに共通し改めて教えられたのが、やりたいことをやってしまうためには、必ずしも経験や資格は必要ないということ。そこには一般的なビジネスルールを超えた、もっと深い真理があるんです。
共通点2 できないという外側の現実ではなく、やりたいという自分の内側に答えを持つ。
第一に、彼らはできないという外側の現実ではなく、やりたいという自分の内側に答えを持っていました。そしてやったことがない、見たことがない世界に飛び込んで、先が見えない底しれぬ闇にひとり耐える力がある。
昨日、梅原猛の『将たる所以』を読んでいたのですが、(聖徳太子から田中角栄など日本の主要なリーダーを挙げて、彼らがやったことからリーダーに必要な条件を分析した名著)、そこで描かれるリーダーの要件と同じく、彼らは孤独に耐えられる人たちでもありました。
共通点3 先がわからない事態や決断の孤独に耐えられる。
それはひとりぼっちという意味ではなくて、彼らにはたくさんの協力者たちがいます。でも決断を人や何かや世間の常識なんかに委ねるとそれに支配されてしまうから、最後にことを1人で決めるんです。そんな決断の孤独に耐えられるということです。
つまり繰り返しになりますが、外側に答えを求めないということ。
ウエイン・W・ダイアー博士のベストセラー本『自分のための人生』でも語られる、
充実した人生は他人から与えられるものではなく、自分が今何を選び、何をするかですべて決まるという真理にも通じます。本気になれば、人生には達成できない望みはないのだと。本当にそうなんですね。
共通点4 思いどおりにならない問題は、気づきに活用する。
それから、彼らは不思議と全員海外生活経験者だったんです。別に海外でやってきたことが仕事に直結しているというわけでもありません。なんでかなぁ?と思ったときに、最初に思い出したのが、一見関係なさそうなカリフォルニアで暮らしていたときのお釣り問題です。
カリフォルニアって、バスに乗ってお釣りが出ないんです。例えば、2ドル10セントのバス代だったとして、3ドルしか持ってなければ90セント返ってこないんです。それってだいたい日本円で百円ぐらいじゃないですか。びっくりですよ。
レストランでもお釣りの計算が間違っていたりして、10ドル近く違っていて指摘しても、「Woops!」で終了なわけです。謝らない。
最初は「あり得ん!」とそのサービスの雑さに怒っていましたが、そんなことにカリカリしていたら、私の人生がイライラに染まるぐらいこのお釣り問題が多発したわけです。確かインドもそんな感じだったよな、と。だから「まぁ、そういう感じもアリなんだな」と日常のルールが更新されることで、現実対応力が拡張されるのです。
すると問題に見えることを気づきの一つとして利用するのがわりと当たり前になって、どんどん軽やかになっていく。「ま、いっか」が拡張していくのです。どういうふうに世界を見ると自分の機嫌を保てるのかという”私お取り扱いマニュアル”もアップデートされていきます。と同時に「これだけは外せない」もクリアになっていく。ガンと譲れないポイントは今まで以上にしっかりするんです。
参考:悩みの中に答えがある。仏教とスピリチュアル世界からみる、自由になる2ステップ。
梅原猛は『将たる所以』で、日本の社会は聖徳太子が言った「和を以って貴しと為す」だから、集団の輪を重視する日本人は知性は大変高いけれど、孤独に耐え難いから独創的な仕事ができる人が少ないのではと指摘します。
それも一理あるでしょうが、自分の好きを仕事にしている彼らを見ていると、私は逆に世界的にトップレベルのきちんと感を持つ日本人なのだから、例えば海外生活のような今までの常識が通用しないような、思いどおりにならない事態を経験をして少し視野を拡張することで、世界最強になるのではと思うんです。サービス性も独創性も備えたすごいものが生み出せるんじゃないかと。
別に海外生活をしなくても、挫折とか病気とかそういう人生における避けたいような問題や障害でも、自分らしく生き方をカスタマイズするために活用できるように思うんです。違和感や「これは嫌だな」ということが起きると、エッジに追い込まれることで外せないポイントや別に必要ない思考パターンが見えて、自分の好きや心地よさへと反転できるからです。
参考:病気が贈ってくれた、ホリスティックの真の意味とそのギフトについて
そういう意味で、今の新型コロナウイルスのあり得ない事態は、海外生活体験に少し似ています。だから、これはチャンスに陽転できるようにも思うんです。「当たり前」とか「べき」というがっちりした思考の枠が緩むから。
だから私は嫌なことがあると、ズドーンとなるまでとことん味わったのちは、心の反応をただ観察するようにしています。最初からそうしようとしても難しいので、ジャーナリングをして自分の本音としっかり向き合ったり、瞑想して心のざわざわを落ち着かせた後で。むしろ魂レベルの自分は、感情を味わい尽くしたいというのもわかるので、このところはもう封印しないんです。そうすると、問題だと思っていることが大分な比率で、自分の頭の中で創り上げたものだと気づかされます。
参考:ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法。
参考:動画で解説! 不安、ざわざわがリラックスする、5分間の心落ち着き瞑想。
参考:5分歩くだけで不安や怒りが消える。自分の部屋でできる歩く瞑想の行い方
私たちが世界そのもの。目の前の条件に縛られなくていい。
哲学者のアラン・ワッツは、私たちの目が存在しなければ、太陽は明るくない。私たちの皮膚が柔らかくなければ、トゲはチクチクしないといいます。つまり、私たちが世界を造るのではなく、実は私たち自身が世界そのものなのだと。
自由というのは、目の前のことを思いどおりに変えることではなく、目の前の条件と自分を同一視せず、それに縛られないことをいうのだと思います。好きを仕事にしている人たちには、そんな自由で軽やかな風が感じられました。
参考:マズローの心理学に見る、ハイヤーセルフとつながった人の特徴とは?