私が初めてティク・ナット・ハン(愛称:タイ)の『怒り(心の炎の静め方)』という本を読んだとき、栄養とは食べ物から得られるものだけではないことを教わりました。仏教心理学によれば、私たちは、本やネット、新聞やテレビ、誰かとの関係性や過去の記憶、さらには先祖から遺伝するものや習慣のエネルギーからも栄養を摂っているのだとか。では、マインドフルネスで心と体の栄養を深く味わう生き方とはどういうことでしょうか?
彼が暮らしていたフランス・ボルドー郊外のプラムヴィレッジを訪ねたとき、尼僧のシスター・チャイに大変よくしていただきました。そこで彼女に「心理学に興味があるなら」とオススメしていただいたのが『Understanding Our Mind: 51 Verses on Buddhist Psychology 』というタイの本です。
(プラムヴィレッジのリトリートで頂いたピクニック用のランチ。庭のベリーをおやつに)
その本からは、タイの詩的な言葉で、仏教心理学における心の仕組みを学びました。残念ながら日本語に訳されていませんが、『味わう生き方』の第3章 口から摂る食べ物だけが栄養ではない、のなかでもその内容が少し触れられています。
軽くお話ししたいと思います。
仏教では心の倉庫のようなものがあるといわれます。大乗仏教を支える根本思想の唯識(ゆいしき)思想では、蔵識と呼ばれます。
意識の深い部分にあるその倉庫には、私たちが感じ取ったり、経験したり、心に刷り込まれたことのすべてが蓄積されるとか。
そこには愛や喜び、感謝、赦し、思いやりというマインドフルな種もあれば、怒り、憎しみ、嫉妬、欲望という苦しみの種もあります。
私たちが暴力、恐れ、怒り、不安の種に栄養を与えるようなことを消費し続けるとします。つまりそれらが意識に込み上げてくることを赦していると、心の倉庫にあるネガティブな感情に栄養を与え続けることになります。
その結果、暴力、恐れ、怒り、不安の種が成長します。意識の中は怒りや憎悪でいっぱいになり、それが私たちという人間になっていきます(『味わう生き方より)。
マザーテレサの名言にも、こんな言葉がありますよね。
思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。
確かにそうだと私が痛感したのは、仏プラムヴィレッジで参加したマインドフルネスのリトリートの後でした。
お互いを深く気遣う、思いやりにあふれた時間を終えて、パリに向かう飛行機に乗ったときのこと。
そこで、後ろに座っていた人が私の座席シートからテーブルをガタガタッと設置しようとしたんです。エコノミー席なら、日常的なことです。でも、その無造作な動きが背中を蹴られているように強くて痛くて、暴力的に感じたんです。
そんなふうに思うのは、初めてのことでした。
もちろん今までも「乱暴で痛いなー」とか「腹立つなー」とかと感じたことはあります。さらには自分も急いでいたりすると、何気なく他の人に対して同じようにやっていたことだったと思います。
でも、そんなことで自分が傷ついているとは思いもしなかったんです。さらには他の人を傷つけているということも。
無自覚の傷を重ねて、自分の怒りや悲しみの種、そして他の誰かの怒りや悲しみの種にも水をやっていたんだと愕然としました。
さらに飛行機を降りて街を歩くと人々のスピードが荒々しく速く感じます。殺気だっているとさえ思いました。しばらく自分のペースで歩いていると急いで闊歩する誰かに肩があたってしまい舌打ちされて、「ソ…ソーリ…」と謝ります。
心を強くするためにマインドフルネスの合宿に行ったのになぁ。
繊細になりすぎて社会に適合しにくくなっているじゃないかと不安になりました。
かえって心が弱くなってしまったのではないかと感じたんです。
実際にそうなっていたと思います。
イメージとしては、断食した後で赤ちゃんのようになっている胃腸のようなものです。
でもこれは心が感じにくくなっている状態から、自分の感覚を取り戻すときには、とても大切なプロセスです。
私が不安定になってしまったのは、感じることを許したためではありません。
感じられる状態になって、そこで再び過去の思考パターンを持ち出して、感じたものに✖️をつけたり○をつけたりすることに囚われ、軸が定まらない状態になったからです。
そこで思うに大切なことは、感じている自分、判断している自分に気づくことです。
「嫌だなぁ〜」とか「腹が立つなぁ〜」とか「軸が定まらずブレブレだなぁ〜」とか
「すっごく嬉しくって調子に乗っているなぁ〜」と感じること自体は悪いことではありません。肝心なことは、それに振り回されないこと。その状態の自分を自覚することです。
そうすることで、自分の人生の操縦席に戻ることができます。
今の体験に引きずられず、自分の欲しいものをしっかりと決めるんです。
欲しいものというのは、体験したい現実ということです。
それはホンネで望むもの、心から幸せだと思うことです。
タイの言葉を借りれば、
ネガティブな気持ちの種を成長させないために、水を注がないこと、栄養を与えないことを、それらの種を引き出してしまう状況で注意深く(マインドフルに)なることです(『味わう生き方』より)。
いっときの感情に振り回されるというよりも、それを感じている自分に気づくこと。そして、その状態の自分について良い悪いと裁かず、ただ成長させたい種を選んで水を与えることです。
心をマインドフルにするというのは、なるべく多くの時間をそんなふうに感じて、自分の心に気づいて、自分で自分の栄養を決めることなのだと思います。
参考:「強運の法則」が明かす、全宇宙が味方する成功と豊かさに必要な8つの条件とは?