現実とは私たちの内にあるものの投影であり反映。私たちは現実そのものをつくるのではなく、認識のフィルターを通した「現実の経験」を創造しているというのがバシャール。では、「困った」ことが繰り返すとしたら? 創造主が自分なら、ストップする方法もあるはずですよね。『バシャール2006―バシャールが語る魂のブループリント』を読み解きました。
目次
現実とは投影。私たちの波動が「現実の経験」を創造している。
常識だと思っていたようなこと。それがくつがえされて「えっ?!」ということが起きます。
予想外の良いことが起きるには問題ありません。でも、悪いことや困ったことが起きるのです。
しかもそれがつづくとしたら?
それは外側の状況ではなく、自分の内側を変えるタイミング。引き寄せの法則や現実創造ではそのようにいわれます。
そこで知っておきたいのが、投影という考え方です。
投影ってなに?
投影というのは、自分の内側にあるものが、外側の世界として映し出されること。
たとえば自分の中の何かを否定するとき、それを他人に投影することがあります。
すごく疲れているけど、一生懸命働いているようなとき。仕事がまだ残っているのに「帰ります」という人にちょっとムカッ。それは、あなたもホンネでは「休みたい」と思うところがあるというのが「投影」の捉え方です。
参考:嫌いな自分を赦せば、愛が叶う。投影を外し、人間関係のモヤモヤを一掃する心理学。
自分にそういう部分があるから、良い悪いという話ではありません。
ただそれを認めて、現実を「再」創造するチャンスにすればいいということ。
バシャールやエイブラハムがいうように私たちが創造主なら、ストップすることができる。さらには、望む現実に創造し直すこともできるはずだからです。
そこで『バシャール2006―バシャールが語る魂のブループリント』再読。しかし内容や表現が難解…。ということで、かみくだいて説明します。
無条件の愛に包まれる私たち。
さて、バシャールは、私たちは大前提として、無条件の愛の中にいるといいます。
えっ、と思いませんか?
なぜなら、嫌なことや苦しいことがたくさん起きます。ないがしろにされたり、病気だってするし、別れもある。戦争もある。無実の人が傷ついたり、苦しんだり、命を奪われたりしています。究極的には生きとし生けるもの全員が、老いて死にいきます。
参考(ウクライナと似たような運命にある国チェチェンについて書いた記事):AIで顔や声を合成する技術「ディープフェイク」をドキュメンタリーに。 映画『チェチェンへようこそ-ゲイの粛清-』に見る、 デジタル技術やアバター(分身)で社会を変える方法
それでもなお、なぜ無条件の愛に包まれているというんだろう? 疑問にも感じます。
その理由は、現実をそう絶望的に捉えるのも一つの捉え方。でも、それはイコール現実ではないからです。目線が違えば、いろんな解釈があるんです。
つまり、私たちには大前提として、現実についてそれぞれに解釈し、それをどう体験するかという自由が与えられています。それが、無条件の愛。
まだ抽象的でわかりづらいですよね。
もっと具体的にいいます。
これは『夜と霧 』の著者で、世界的な精神科医、心理学者ヴィクトール・フランクルが至った境地ではないかなと思うんです。
つまりその境地とは、現実は自分の心の鏡であり、私たちは大前提としてそれを選ぶ自由が許されているという、無条件の愛に包まれていることが腑に落ちた心の状態。
フランクルについてご存知の方も多いかもしれません。でも説明させていただきますね。
彼は、第二次世界大戦中にユダヤ人だという理由だけで、ナチス強制収容所に収容されました。そして毎日食べ物がほとんど与えられず、極寒でボロ切れをまとって重労働にいそしみます。けれども、明日にはガス室に送りこまれて死んでしまうかもしれない。
なんの希望もない。やったことの成果もやりがいもない。家族も殺され、人権も踏みにじられつづける。そんな壮絶な体験を描いたのが『夜と霧 新版 (みすず書房)』。
極限状態で、彼は人間とはなにか。自分とはなにか。人生とはなにかを見つめつづけました。
そして彼は思うのです。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
―『夜と霧 新版 (みすず書房)』より
彼は悟ります。
収容所の日々のような、自由も安らぎも尊厳もほとんどすべて奪われたような状態でも奪えない最後の自由があると。
それは、そこで自分がどんな在り方でいるかを決定できる自由。
つまりどんな世界や状況でも、どんな自分であるかは、自分で決められると悟ったのです。
現実をつくるのは、自分の波動(エネルギー)。
バシャールの言葉で言い換えれば、すべての現実は自分が選択・決定し、そのつど創造しているということ。
もっと具体的にいえば、まず私たちは、自分の観念、感情、行動というフィルターを通って、出来事を解釈しています。
観念というのは、現実はこうだと信じていること。私たちはこのフィルターを通して、現実を理解しています。
参考:観念とは? 自分でも気づいていない、願望を妨げる観念を掘り起こす。
観念の方程式によって、私たちは目の前に起きていることを好ましいものか、好ましくないものかを判断します。
その結果、嬉しいとか、悲しいとか、憎いとか、愛しいという感情を抱きます。
そしてその思いに即した行動をとります。
それが現実化するというのが、目に見える形での説明。
さらに目に見えない形でお話しします。
そこでカギをにぎるのが、アインシュタイン博士のE=mc2(エネルギー=質量に光の速度の二乗をかけたもの)という数式。
ここで、私たちは物質とエネルギーが同じであると説明されています。
つまり、目に見えない観念も感情も、目に見える行動もすべて固有の波動を持つエネルギーだということ。
私たちは、観念、感情、行動の組み合わせからなる固有の波動(エネルギー)を、なにかを思ったり、感じたり、やったりするたびに、たえまなく発することになります。
つまり、バシャールの目に見えない次元での説明だと、この3つの組み合わせが、固有の波動(エネルギー)として発せられているということ。
そして、その発信された波動に基づくリフレクションが、源(ソース)からの「現実の経験」として返ってきているんです。
では、源(ソース)とはなにかというと、創造の源のこと。この世界を形づくるエネルギーのことです。
命、万物の法則ともいえます。
参考:この本でわかる! ハイヤーセルフ、ソースエネルギーをトランスパーソナル心理学で説明
たとえば、私たち人間は、生態系の一部ですよね。言い換えれば、源の一部であると同時に、それを現したものでもあります。
大海の一滴の水が、水であると同時に大海でもあるように。
だから、私たちは創造主でもあるんですね。
そして、体験とは私たちがつくったもの。つまり私たちの波動が映した反映であり、私たちの投影であり、すべては自分主導で始まっているということです。
困ったことから、現実を再創造する方法。
つまり、なにか困ったことがあるとしたら、頭の中を片づけよということなんですね。
鏡に映る自分の顔についた汚れを拭いても、取れません。
鏡の向こうの自分の顔を拭かないと、なにも変わらないんですね。
そこでまず見直すのは、観念です。
つまり受け取った反映=経験を生み出した観念。
「現実とはこういうものだ」と信じている定義のことです。
私たちは、その色眼鏡を通して現実を理解しています。そして「嫌だな」という気持ちを抱き、行動し、「困ったな」という体験をつくっています。
そこで自問自答するのは、
その状況に関して、どんなことを信じていますか?
すべて望めるのであれば、この状況に対してどう意味づけしたいですか?
それは、もう大事に思っていない時間の過ごし方ではありませんか?
あなたがもっと自由でラクに幸せになるためには、どんな意味づけをしますか?
そしてどんな行動を取りますか?
なにかを「しない」、という否定形ではなく、なにを「する」というなら、なにをしたいですか?
なにが出てきても、ただそれを認めます。
発信した波動を映した現実が展開されています。
バシャールはいいます。いつでも私たちは選択の自由が与えられていると。
どんな選択の自由かというと、
「受けとった反映=経験」を生みだした観念を強化し、波動を発しつづけるのか。
それとも、違う反映という経験を再創造できるように、観念を変えて、異なる波動を送り出すのか。
この二択です。そして、すべては、私たちの選択次第だと。その反映が現実の体験です。
すべては愛からはじまる。
たとえなにがあろうとも、困ったことが起きても、そんな望まない体験を克服するには、純粋な愛の波動を持つことしかないのです。発信源は自分で、すべては投影だから。
そして愛はまずは自分に傾ける。そしておのずとあふれた愛を周りにおすそ分けする。
その逆は、ありません。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。
たとえば他人や自然に危害を与えないこと。何より自分自身に危害を与えないこと。
自分の内の世界を大切にすることで、外の世界も大切にできます。
すると外の世界も私たちの内の世界を大切にしてくれるようになります。
すべては反映し、創造し合っているから。