過ぎ去ってしまった過去の出来事の内容は変えられませんが、挫折や怒り、悲しみの体験も解釈が変わればプラスに見え、心のざわつきや落ち込みを解放することができます。それは、あなたが繰り返しいう言葉や絶えず持っている感情というパターン化した心の持ち方、つまり潜在意識のブロックを解除してくれるのです。どんなふうに、どうやって? 具体的にお話しします。
どんな人生を送ってきたかと振り返れば、人に誇れるようなものでもスムーズなものでもありません。どっちかというと、ズッコけることのほうが多かったように思います。でも、そんなうまくいかなかったことやもがきもまた、愛しく思っています。
とはいえ、そう思うべきと思うのではなく、心からそう思えるようになったのは、ごく最近です。
私のハイライト的な人生の出来事を振り返れば、新卒で編集者希望として第一志望の出版社マガジンハウスに入社できたことがあります。
でも、1〜2年で業務部から編集部へと異動していく同期と違い、ただひとり8年近く、広告部勤務となりました。思いつめて休暇中に旅したインドのバナラシ。そこでたまたま出会ったサドゥーに「来年の誕生日近くに異動するから、会社を辞めないほうがいい」と言われました。
手相とホロスコープを診るといって、細かいところのシワまで確認したいからと、彼に何度も手をぶたれて真っ赤になったなぁ。世の中の喧騒から離れた聖者・サドゥーだし、ほとんど言葉でのやりとりができませんでしたが、なんとなく人事のこととかをわかっていて面白いんです。
で、話半分で聞いていたんですが、翌年の誕生日の4日前にアンアン編集部異動の発令が出たという不思議な話で(そのときから目に見えない世界を強く信じるようになって、のちにヨガ講師のコースに通いました。そこでインド哲学に触れたことが、マインドフルネスに興味を持つきっかけになりました)。
離婚後にお金を貯め、高校生からの夢だった留学を果たしたのは、すでに37歳。サンフランシスコの語学学校でドクター・スースの絵本を読むところから英語を学び直していたら、ある日突然、強盗にケータイと有り金を強奪されました。
「なにかあったら必ず力になるから連絡して」と言ってくれていた元カレに電話するも、つながらない…。血眼になって自力ですべてを解決した数か月後に、音信不通だった彼から何事もなかったように「娘がサンフランシスコに行くから部屋探しを手伝ってあげて」とメールがきて、ズッコケたっけ。
そんなこんなだったんです。
で、マインドフルネスの実践をやっていましたが、心の傷や挫折をしっかり味わうとボロボロになって立ち上がれなくなりそうだし、威勢よく会社を辞めてしまったから日本にもう戻る場所もない。
ということで、いやな体験は「そんなこともあるんだ。次!」という感じで味わいきらず封印し、先へ先へと向かっていたんですね。全然、マインドフルじゃない。
そんなふうで未消化の感情や体験がたくさんありました。そこで、はじめてカリフォルニアでG.N.ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想合宿に参加したときは、瞑想中にめちゃくちゃ回想というか、妄想しまくるんですね。
完全に現実逃避です。
どんなものかというと、暗いメディテーションホールでこんなふうに一人思いを巡らせるんです。
高校生のときにフランスに留学していて、法律なんか勉強して弁護士になって、リッチになって、優しい夫と可愛いハーフの娘が居て、真っ白なアパルトマンで暮らして…みたいな調子で。
「いや、それ、完全にあなたじゃないでしょう」という妄想話なんですが(恥ずかしい)。冷静なツッコミはさておき、そんなストーリーを延々と夢想していました。
まぁ、こういう私の一面が、韓国ドラマのラブコメにはまるところなんでしょうねぇ…。
ハッと気づけば、瞑想終了のチャンティングが始まって、頭を抱えて反省しながらメディテーションホールを後にするという…。瞑想ではなく、完全に脳内迷走です。そんな繰り返しでした。
でもそれを朝5時から夜9時まで何日間もし続けていたら、だいたい1週間ぐらい経ったとき、
「私って、ずっと過去がこうだったらなぁ…ってことばっかり考えているんだなぁ。昔のことを延々と引きずっているから、今変えられるものが見えていない。だから、未来も同じように今のことを『あのときこうしていたらなぁ…』って思うんだろうな」と、ゾッとしたんです。
ようやく我に返ったんですね。
それで、なるべく今そのときに感じた良い予感にのってみるようになりました。プログラムを終えた後にしばらくカリフォルニアの研究機関でアシスタントをしていましたが、見込みがないなと大学院を目指すのをやめたのもその理由です。代わりにずっと気になっていたスピリチュアルセンターを渡り歩き、瞑想やエネルギーワークを習い続けました。
それでも潜在意識の根深いパターンは引き続きありました。
とくに「自分は足りない」という思考の呪縛が強かったです。
頭の中の世界だけでなく、実際にも、博士号などの学歴や肩書き、資格、会社や組織、機関に所属していないと、ないがしろにされたり、門前払いはおろか、報酬の未払いや危険な目にあったりするもんだなぁと思い知らされもしました。
でも今は、それはぜんぶ外側の条件のせいではなく、私が「自分は足りない」と思っていたからだとわかります。内側の世界が外側に投影されていたんですね。だって、それらがぜんぶなくても楽しく満たされた状態の成功者も、いらっしゃいますから。
願ったとおりではなくても、私が思ったとおりの現実になっていたということです。
参考:愛される人になる、望む人生を生きるための「投影(鏡)」の法則。
私には、どうしてもできない自分を認められず、自分の能力以上に頑張ってしまうことがありました。その結果、一生懸命やったわりに、不快な事態に陥るのです。
アメリカ先住民ナバホ族の集落では死にかけたし、禅センターでは腰を傷めて鍼治療通いだったし、帰国してからは節約しすぎて抵抗力が落ちて耳の帯状疱疹になって、重度の顔面マヒで緊急入院しました。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。
そんな性分だから、「スムーズに夢が叶う!」とか、「かわいいままで億女♡」みたいなキラキラ感あふれた本や発信に触れるとステキだなー、楽しそうだなー、すごいなーと思います。
修行ざんまいで耳の帯状疱疹を発疹したような私の半生は、その真反対。とくに会社を辞めてからはかなり泥臭い半生、どちらかといえば底辺に近い生活をたどってきたといえます。
だから、病気になってからはいよいよ本気で人生を客観的に振り返りました。
その結果、自分のズッコケポイントがよくわかりました。
今の自分を認められていないとき、実力100%の自分をちゃんと見て受け入れられていないとき、ズッコケるんですね。逆に、そのことを考えられないぐらい夢中なときは、無理そうなことでもなぜかうまくいく。でもフリーズすると、過去のパターンにまた逆戻りする…。
これは、私に限らず、万人に共通する宇宙の法則だと思います。
思うにこれを何度も何度も繰り返して、まずカラクリに気づき、「もう飽きた!」と思ったタイミングで潜在意識が切り替わるのだと思います。
私の場合、行動面ではぜんぶ自分で選んで、望んでやってきたことなので、なんでうまくいかないんだろう?、なんでなかなか切り替わらないんだろう?とナゾだったんです。死にかけたり、体調不良になったり、ないがしろにされたとはいっても、そのもとの行動は、誰にも強いられたり、強制されたものではなかったですから。
その理由は、自分の心の声、ダメ出しのせいだったんです。
できない自分の現在地を認められないというのもありましたし、もっとこうしたいという自分のホンネや本当の望み(「やりたくない!」「できない!」という望みも含めて)を無視しているというのもありました。
いうなればアクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなイメージです。
具体的にいえば、行動は、なるべく今そのときに感じた良い予感にのってみるように動いている。つまり、アクセルです。
でも、行動の起点となっている内面の場はブレーキを踏んでいました。
つまり、頭の中は、「やりたいってことをやってるんだから、ちゃんと満足しなさいよ。今コーヒーが飲みたい? そんなもん我慢しなさい!」とか「なんで10倍以上お金も時間も使っても、あの人みたいにできないわけ?本当に能力がないんだから!」と、めちゃくちゃ厳しく、「NO!」を出し、全然応援していないんですね。
マジに、ごめん…。昔のわたし…(涙)。
そのことをラスボスとして教えてくれたのが、顔面マヒという病気でした。
参考:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。 アメリカの禅センターで体験したお金を交わさない豊かな暮らし。 交通事故、顔面マヒで入院し気づいた私のお金のブロックを解除する
なぜなら、この病気ではとにかくストップがかかったから。前(頭)に進めないから、内(体)に向かうしかない。顔が動かないだけでなく、めまいに加えてステロイドの離脱症状も出て、吐き気と倦怠感も強かったんです。
それで、「できることは、今やる。できないことは、やらない。しんどかったら、寝る、休む。できるときにやれたらいい」と、「いつもキチンとすべき」とか「ちゃんと考えねば」とか「必ず完璧にやらねば」みたいな思考の呪縛を手放せました。というか、手放さざるを得なかった。
完璧主義の正体は、不安でした。
アメリカの禅センターで暮らしていたときに感じたのは、腰を傷めるほどの100%以上の力を出し切るよりも、80%の力で作務を行い、20%の柔らかい空気をまとうほうが、周りの人たちにとっても自分にとっても心地よい空間が作れるということ。それに気づいたのに、フリーズするとまた過去のパターンに後戻りしていたんですね。
なにをもって完璧とするのか、そのポイントがズレていたんです。
それに加えて、顔面マヒという病気によって、
翌日にいきなり顔が動かなくなって真っ直ぐにも歩けなくなったりもするんだったら、この命を使ってなにをしたいんだろう? 私が働く目的とはなんだろう?
と、切実に考えられるようになりました。
その結果、時間やエネルギーの使い方が完全に変わりましたし、以前の自分に比べて、脳内の自虐パターンもかなり薄まったと思います。
余裕がなくなったことで、むしろ余裕が生まれたんです。
参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法
具体的には、自己犠牲をしながら自分を孤立させて生きるのではなく、毎日楽しく、大事な人たちを大切に生きようと心の深い部分から変わりました。
では、自分の行動の起点となっている内面の場を変えるにはどうしたら良いのでしょう?
具体的な、潜在意識のブロック解除や、悲しみ、怒り、過去の体験を癒す脳内変換法ってどうすれば?
そこで、村松大輔さんの『「自分発振」で願いをかなえる方法』という本にあった、”封印していた過去に会いに行く方法”というのが参考になります。
内容をかいつまむと、「〜のせいで」という思いを「おかげで」に昇華させることで、ネガティブだと思っていた出来事が、実は自分にとってプラスの影響を与えていると気づけるのだとか。
そこで先にあげた私の3つの過去の出来事を例に出して、試しにやってみました。
私は広告部に8年間以上いられた「おかげで」…
素晴らしい上司と出会えましたし、その後編集部に異動したあともスポンサーとのバランスを踏まえて誌面構成ができました。
アメリカで突然知らない男性にカバンに手を突っ込まれてケータイと有り金を強奪された「おかげで」…
4日後シティカレッジに願書を出さず、テキサスに住む会ったことがない伯父に連絡することになりました。伯父が、英語がよくわからない私の代わりにバークレー大学のプログラムをホームページから発見し、奇跡が重なり、その2か月後には会社を辞めるきっかけとなったバークレーの教授の研究室に所属できました。
長く付き合っていた恋人に都合よくあしらわれた「おかげで」…
本当に大切にしたい人や関係性がわかりました。なんかしんどいばっかりだなぁ…と思う関係性には、以前とは違い、踏み込まないようになりました。
そうなのです!
こんなふうに過去の出来事を捉え直すと、私たちはなにがあってもぜったい大丈夫なんだと気づくことができます。
トライ&エラーを繰り返し、気づきを重ねて、失った自分を取り戻しながら、それぞれの人生を創造しているのです。
とはいえ当然、「おかげで」と思えないこともありますし、体験と向き合えずそう思えない時間もあります。そんなときは、それで良いんです。そんな自分をぜんぶ丸ごと受け入れてあげてください。ここで、自分にダメ出しをすると元も子もありません。
やがて体験が血肉となり、いよいよ本気で過去の挫折や怒り、悲しみを癒したい、潜在意識のブロックを解除したいと思ったとき。封印していた過去の出来事を「〜のせいで」から「おかげで」に脳内変換してみる。
「〜したおかげで….」と書いてみて、答えが出るまで待つんです。焦りません。
今ここにある自分を大切に生きると心から決意できたとき、必ず自分の中で死ぬことを望んでいるものを手放し、生まれたがっているものを迎え入れることができます。