有名な方の自死や自殺未遂、父の闘病生活。心にしたがって生きるとはなにか、命とはなにか、移り変わる世界で変わらないものはなにかと向き合うことが多くなりました。そんななか、嬉しいニュースが。禅センターで出会ったルネからです。彼とその妻ティアラにかわいいベビーが誕生し、その子を「アヤ」と名付けてくれたとか。ルネはゲイで、ティアラはバイセクシャル。ふたりが激しい恋に落ちて結婚するとは誰も予想しませんでした。お話ししたいと思います。
心にしたがって生きるとは? 移り変わる世界で変わらないもの。
心にしたがって生きるとは、移り変わる世界の魂ナビはなにかを考えるとき。
理性や論理でガチガチになった頭の枠組みを少し緩めることで、
パッと開かれる扉があると感じます。
それは、もっともらしい理由が見つからなくても
心で感じたものを信頼してみるということ。
つまり、世間一般でいわれるなにかにどっぷり浸かった状態から
「それって私にとって心地よいのかな?」
「自分にとっての真実かな?」
「自由でラクにいられる考え方?」
と一瞬、一瞬、自分に確認してあげるということ。
たとえば、そのひとつにジェンダーという枠組みがありますよね。
男性だったらこうあるべき、
女性だったらこうあるべき、
正しい関係性はこうあるべき、というものです。
私にもそういうものがたくさんあるんだな。
その公式が役立つときもあるけど、
ときにそれが視野を狭めて自分を不自由にすることもあるのかもしれない。
そう気づかせてくれたのが、アメリカの禅センターで出会ったルネとティアラでした。
私はアメリカで心理学を勉強したあとに、
2ヶ所の禅センターに半年、エサレンなどのスピリチュアルセンター、ヴィパッサナー合宿所、タイの森仏教の僧院などと合計二年弱、いろんな場所で暮らしていました。
そしてルネとティアラと出会ったのは、一番長く暮らしたウパヤ禅センターです。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。
ルネは30代後半のハンサムなドイツ出身の男性。
イギリスにあるロンドン大学の大学院で美術を学び、
ロンドンで美術系コンサルタティング会社をおこしました。
彼がなぜ禅センターにやってきたかというと、
東洋美術に興味があって、その世界を暮らしのなかで感じとりたいと思ったためです。
当時の彼は、まだ会社を残した状態。
最終的に出家し、会社をしめることを決めました。
ルネの瞳は、きらきら光るとび色で、髪は寝癖がついたくすんだブロンド。
すらりとした高身長で、襟首に”精進”と書かれたワッペンが貼られた黒の作務衣をほぼ毎日着ています。
足元には、壊れてワニの口のようにパックリ前が開いたビットローファー。
禅センターが休みの日には、
くたくたになった黒のコムデギャルソンのジャケットを着ていました。
ツッコミどころ満載な服装ですが、ルネはそれがさまになっていました。
そして、妻のティアラは、アメリカ人女性。
ほっそりとした赤毛の天然パーマの妖精みたいに絵になる女性です。
とても雰囲気があって、日本にいたら売れっ子モデルだなぁという感じの。
ふらりスペイン旅行から帰ってきたときのティアラは、
赤毛のアンの革のドクターズバッグみたいな旅行鞄を下げていました。
それがもうなんていうか、ファッション誌からそのまま出てきたようで。
ティアラは、禅センターの住人ではありません。
その近くで暮らし、毎朝熱心に坐禅と朝礼に参加していました。
ティアラの職場は、禅センターの近くに日本風の温泉スパ「Ten Thousand Waves」併設の和食レストラン。
余談ですが、ここに他のレジデントといったときのこと。
背の高いアメリカ人の人たちが全員“萬波(Ten Thousand Wavesの邦訳)”と
書かれた浴衣を着てうろついています。
ロビーに飾られたクリスマスリースには、ピカチューがあしらわれていて…。
みんな大真面目に「クールジャパン!」なんだけど、
日本人の私にとっては、シュールな景色で。ひとり爆笑してしまいました。
経済産業省のクールジャパン課の人とか、こういうところを訪ね歩いたらいろんな発見があって面白いんじゃないかなー。
と、話がずれてしまいましたが、ルネとティアラとアヤの三人は、今は禅センターを出てベルリンで暮らしているそうです。
独身時代のルネはモテモテでした。
恋愛禁止の禅センターでしたが、彼のことをちょっといいなぁと思っているレジデント女性がいたりもして、ちょっと色めいてもいました。
しかし、ルネの恋愛対象者は、男性のみ。
そこで、彼に恋して涙した女性は数知れず。
そんなルネがティアラという女性と恋に落ちたのです。
参考:バシャール結婚相談所。ソウルメイト(魂の伴侶)と最短で出会う方法とは?
誰も知らず、全員びっくり!
しかしルネと私の部屋は、壁が薄い隣同士だったので、
二人が絶賛恋愛中だったときから私は知っていました。
のちに彼らから報告を受けたときに、
「実は、知っていたよ」と明かしたとき、ものすごく驚かれました。
そして二人は結婚することに。
経緯を聞いていると、
私は知らなかったのですが、ティアラは、バイセクシャル。
ルネの前のパートナーは、女性で、
でもルネのことはすごくいいなぁと思ったんだそうです。
驚いていると、逆にティアラから質問されました。
「アヤの性的対象は?」
めちゃくちゃ質問、ストレート!
「男性だよ」と答えると、ティアラにいわれたんです。
「どうして?」
「どうして、そう言い切れるの?」と。
それで
「今までそうだったから、これからもそうだと思うから」
と答えました。
でもこれは、毎朝一緒にローマ字の般若心経を唱え続けてきた私たちにとって、
空(くう)の”0(emptiness)”じゃなく、”0点”の答えです。
というのも、そこで説かれるのは、
「これだ」と独立して変わらない実体を持つものはないという真理。
すべては関係性のなかで成り立っていて、移り変わるということです。
ルネがティアラに出会って、変わったように。
たしかに仏教徒じゃなくても、お経が遠い存在でも、
「ブッダがなんだ」と思っていても、私たちは移り変わります。
今この瞬間から、どんどん変化しています。
たとえば肉体的には、この一瞬が、これからの人生で一番若いのです。
肉体レベルでは、細胞は移り変わります。
生まれたときの私の爪は、もう存在しません。
心はどうなのかというと、心もまったく同じではないですね。
振り返れば、私自身この数年で大切にするものも、
時間の過ごし方も、随分変わりました。
でも思考はどこか自分は同じで、過去が未来を定めると信じている。
しかし、私たちは変わるんですね。
と同時に、変わらないものがあります。
つまりその関係性の奥にあるものです。
宇宙の摂理というような、この世界を形づくる規則性のようなものです。
それは一体何か。
ルネのメールを読みながら、そのことを思い出しました。
たしか君がセンターを出ていくときに、
漢字で”愛”と筆で書いた石を贈ってくれたね。
君が落としていったその石が形になりました。
ティアラとのあいだに女の子が生まれました。
その子の名前は、”アヤ”といいます。
ティアラと、君に約束したように、
僕らの娘の名前を”アヤ“にしたよ。
私は子どもを持つという経験をしなかったから、
残念だなと思うこともあります
(それ以上に子育てはすごいことだなと、
すべての子を持つ親御さんをリスペクトしています)。
だから私という存在がいずれなくなったとしても、
この世界のどこかに
落とした愛の石から生まれた“アヤ”がいるということが嬉しいなぁと。
そう思うと胸がポッと温かくなります。
愛はどこかでつづいていく、そんなふうに思うんです。
この世界を形づくる規則性を、
私たちが理解できる概念(言語)で説明すると愛だといえるから。
参考:未来の自分とつながるとはどういうこと? 今、なりたい私になるために必要なことは。
そして、こういう胸がポッと温かくなるなど、
今ここで体を通じた実感が、心が感じて教えてくれるイエスなのだと思います。