自己開示と自虐の違いって?「ダメな自分」を見せてもステキな人にはワケがある。

アメリカに移住し、米大手エージェンシー ICMパートナーズと契約された渡辺直美さん。モノマネしていたビヨンセが所属する事務所です。夢は40歳までに米コメディ映画の主演女優とか。快挙をなし続ける渡辺直美さんが愛用するファンデーションがあります。彼女のファンデ選びから、モノに自分を合わせるのではなく、自分の特性に合わせてモノを選択するその姿勢を”圧倒的ワタシ感”と表現。賞賛したのがインフルエンサーのhappyちゃんです。二人に共通するのが世間的にネックとされる自分の”弱み”をさらす自己開示力が持つ影響力です。ともすれば自虐になりうる一面を他人に見せて、ステキと憧れられる人にはまとうエネルギーに違いがありました。自己開示と自虐の違いを紐解いていきます。

happyちゃんの言う”圧倒的ワタシ感”とは?

渡辺直美さんは、脇汗をかくぐらい汗っかきとあって、ウォータープルーフのCEFINE セフィーヌ のファンデーション 愛用されています。シルクの粒子でメイクが汗で崩れず、肌にも優しいのだとか。

このファンデ選びの話題から、happyちゃんが渡辺直美さんを絶賛していました。惹かれるのは、その“圧倒的ワタシ感だと言います。

汗っかきだからファンデーションが崩れないように「痩せないと」と自分を変えようとするのではなく、自分の特性をそのままにその魅力を引き出すように商品を選ぶ姿勢に魅了されるのだとか。

渡辺直美さんは、あくまでも自分ありきで、ものを選んでいる。ものに合うように自分を寄せていないのです。

圧倒的な自己受容が根底に。自分の特性を活かすために、ものを利用する。

「あの服を着るために痩せる」や「あのブランドに見合うような自分になる」ではなく、「今の私を一番キレイに見せてくれるからあの服を着る」や「気持ちが上がるからあのブランドを身につける」というように、自分とものの主従関係が違うのです。

そこでは、そもそも自分のことをどう思っている? が、現れます。

渡辺直美さんのファンデーション選びの根底にあるのは、どんな自分でもその存在が尊いとする圧倒的な自己受容です。

大人になるに従い、条件つきの自己受容が正解になる。

電車のなかで赤ちゃんを目にすると、ただそこに居るだけで周りの人を笑顔にします。Being(存在)の力です。幼いときの私たちはその状態でした。

参考:ただ居るだけで価値がある。創造性や生命力、存在給は、何もやらないことで開く

そして成長するに従って、学校教育や世間の評価により、Being(存在)の価値は、Doing(何をしているか/行動)やHaving(何を持っているか/結果)で決まると習います。

つまり
「成績が良ければ、よく出来ました」
「頑張らないと、愛されない」
「評価されないと、ダメな人」
といった、条件つきの自己受容が正解と認識していきます。条件とは関係なく、存在に価値があるなんてあり得ないと学んでいきます。




自己否定が生まれ、認めたくない自分が生まれる。

その結果、条件が外れた場合の自分はダメだとなります。自己否定が始まります。

そこで社会で生きていると、認めたい自分とそうではない自分が生まれます。

「カッコ悪い自分」や「ズルイ自分」、「暗い自分」や「弱い自分」、「サボってる自分」は自分だと認めたくありません。否定します。人にも見せたくありません。自己受容の条件から外れるからです。

モラハラやマウントは、自己否定の現れ。

つまりモラハラをする人やマウントをとる人は、実は自己否定が強い人です。自分の弱い部分を認められないので、他の人の立場を弱くすることでそれを隠し、力を取り戻そうとしているのです。

参考:人間関係がうまくいかない4つのパターン、コントロールドラマを知って望まない関係を克服!

もっともパワフルな自己受容とは、行動と結果とは関係なく、どんな条件下でも自分の存在は尊いのだと、その存在価値を認めることです。マイナスの自分を受け入れられないと、自分に圧倒的なパワーを感じられません。

弱みを見せられる人には、パワーがある。

勇気(courage)という英語の語源であるラテン語は、本当のことを話すという意味の言葉です。

本当の自分を見せると無防備で傷つきやすい状態になります。語源から、それができる人が勇気のある人、パワーのある人だと思われてきたことがわかります。

「Vulnerability(傷つきやすい状態。無防備さ)」であることは、深い人間関係を築くために必要なことだとも『本当の勇気は「弱さ」を認めること』の社会学者ブレネー・ブラウンはいいます。

自分に出来ないことがあるおかげで、周りのひとの優しさに気づけますし、感謝することもできます。また自分の非を心から認めて謝ることが出来る人には、相手の心を開くパワーがあります。

私たちはサブパーソナリティーの集合体。

私たちにはいろんな側面があります。弱い一面も強い一面もあって然りです。

「ズルイ自分」もいるし、「ボランティア精神に溢れる自分」もいる。

「グズな自分」もいるし、「責任感が強い自分」もいる。

「愛情深い自分」もある半面、「ドライな自分」もいる。

「滅入って気分が上がらない自分」であるときもあるし、「やる気に満ちてエネルギッシュな自分」のときもある。

「人生に迷っている自分」もいるし、「思い切って決断する自分」もいます。たった一つのキャラクターが自分そのものということは絶対にありません。

会社では厳しい上司でも、娘には甘い父親かもしれません。
お腹がいっぱいだと余裕があるけど、空腹時はちょっと殺伐としませんか。
雨の日は気が塞いでいたのに、晴れてケーキを食べたら気分が上がったりしますよね。

どれもがその人であるように、ある時点のある部分のその人が一番強く出ているだけです。つまりあなたの一面がイコールあなたのすべてではありません。

ある人に比べると「背が高い自分」でも、ある人と並べば「背が低い自分」になる。「歳とった自分」も「若い自分」も同時に存在しています。

文脈や状況によってくるくると変化する私たちの一面は、サブパーソナリティーと呼ばれます。サブパーソナリティーの全てがあなたであると同時に、どれか一つだけがあなたの全てではありません(『好きな自分、嫌いな自分、本当の自分―自分の中に答えがみつかる方法』より)

さらに自分では気づいていないような一面や、ハイヤーセルフやトランスパーソナルといわれる高次元の自分も存在します。

参考:二極化時代の幸せ案内人、ハイヤーセルフを味方にしよう。意識を使いこなして人生を変えるコツ。




圧倒的ワタシ感のカギ、自己開示と自虐ではまとうエネルギーが違う。

happyちゃんがいう「圧倒的ワタシ感」とは、世間的に一見マイナスとされるサブパーソナリティーをさらけ出して、Being(存在)の輝きを放つことでしょう。

それは、誰がなんといおうと自分の存在価値を信頼する決意です。

そこでカギになるのが、自己開示(他人に自分をさらけ出すこと)です。

同じように弱い部分をさらすことでも、自虐と自己開示は似て非なるものです。まとうエネルギーが違います。

自己開示はニュートラルです。弱い部分をさらけ出したときに、自分のその一面を責めて自分を傷つけていると、それは自虐のエネルギーをまといます。

自虐のエネルギーとは、エイブラハムの教え感情の22段階の、

21.不安(身の危険)/罪の意識/無価値
22.恐怖/悲嘆/憂鬱/絶望/無能

という創造のエネルギーから遠い周波数を持つものです。重たいエネルギーです。

いっぽう、“弱い”一面を開示しながらもそれに囚われず、自由や喜びに包まれていたら、それは

1.喜び/智/溢れる活力/自由/愛/感謝

という創造のエネルギーにもっとも近い周波数を帯びます。自分の「弱点」を公言しながら、エゴ(分離に基づく自己意識)が意識をのっとっている状態から解放されています。

参考:感情の22段階と現実の7次元について。忘却のゲームから抜けて、統合に向かうためには


自虐ではなく、自由な自己開示をするために。

まず、ただ「私にはそういう一面がある」と思うこと。

それをマイナスととらえずに、まずニュートラルな情報として捉えること。

そして、作家アラン・コーエン氏の黄金の質問です。

「この出来事は、人生をより幸せにするために、どう役立ちますか?」

と自問自答します。


「人生には苦しみや犠牲はつきもので、幸せになることを期待してはいけない」「私たちには何かが足りない(だから頑張らないとダメだ)」と日々追い込まれる私たち日本人読者にむけてアラン・コーエンさんが特別に執筆。ハイヤーセルフからのメッセージを直接受けるような一冊。タイトルの「だいじょうぶ、あなたはすべてうまくいく」は、まさにハイヤーセルフのマインドを象徴する言葉。

そのままの自分を始点にしながら、可能性や才能を開く。ダメな部分にフォーカスするのではなく、いい部分を伸ばそうとするのです。

その一例が汗っかきの渡辺直美さんの美肌をかなえるファンデーション選びです。

ありのままの自分を認めると、自分を操縦しやすくなる。

私たちの心を理解するうえで、以下のサンフランシスコ禅センターを開いた鈴木俊隆老師の言葉が参考になります。

「人をコントロールするいちばんよい方法は、存分にふざけてもいいんだよと言ってやることだ。そう言われた人は、広い意味でコントロールされた状態になる。羊や牛をコントロールするには広々とした牧場に放してやればいいが、それと同じことだ」(『書けるひとになる! 魂の文章術』より)。

この“人”というのを、“自分”や“自分の心”という言葉に置き換えます。

自己受容すれば、自分のことを操縦しやすい状態になります。世間的に“醜い”とされる自分の一面も「それが自分だ。そうなんだ」と全面的に認めると、頑なな心が緩みます。リラックスした状態になります。恐れや不安からくるおどおどした感じも薄れていきます。自分自身との深い信頼関係を築くことができます。

心理学者カール・ロジャーズがいう

興味深い逆説ですが、ありのままの自分を受け容れたとき、変わることが出来るのです。(The curious paradox is that when I accept myself just as I am, then I can change.)

です。

欠点を克服すると良い自分になるという条件付きの自己受容ではなく、そのままの自分の価値を認めること。この切り離しが自己受容であり、私たち本来の姿である1の創造のエネルギー状態です。

何かを無くそうとか、無理に何かになろうとする必要はありません。比較の世界で“良い”“悪い”とされるものが混在した、その絶妙のミックス感が唯一無二の私たちを形作っているのだから。

ほかの誰かにならなければいけないのなら、そもそもあなたは今ここに存在していないでしょう。

インフルエンサーなどの自分の好きを忠実に生きる人に私たちが惹かれるのは、その輝きに自分の本質を見るからです。その人の圧倒的な自己信頼感が自分の中にもあるから、そこに共鳴しているのです。自分の一部をその人に見ているのです。

私たちがやっていることや持っていることと、私たちの存在の価値はまったく関係ありません。赤ちゃんのときの私たちがそうだったように。もう自虐して自分を痛めつける必要はないのです。

参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学

Makiwari Radioでも聴けます。