松浦弥太郎さんが書く文章が好きです。シャープだけどやさしくて。リズムがあるけど自然で読みやすくて。彼の『センス入門』には、センスを磨くためにはときに素直さと勇気、それを受け入れる孤独が必要とあります。それは生きるセンスを磨き、未知の世界、新しいステージに移行するときにも通じること。お話したいと思います。
目次
松浦弥太郎さんの『センス入門』より、生きるセンスを磨くために必要な3つ。
韓国ドラマを観ながらトレンドを追うことは楽しい。ではそのもっと奥にあるもの、服装やメールの受け答え、仕事の姿勢など。自分が好きなこと、惹かれることの本質ってなんだろう? それを再確認したいなと思って、手にとったのが松浦弥太郎さんの『センス入門』。
センスとはなにか?
では、センスってなんでしょう?
松浦さんによると、「選ぶ」もしくは「判断する」こと。
たとえば白いTシャツひとつとっても、首まわりの開き、フィット具合、生地の質感や厚み、人によっては製造過程など、さまざまです。そこからなにを選ぶのか。
そして人選びもありますね。たとえばメンター。
私は会社を辞めた後にメンターと出会うには、その人と暮らしてみることが一番いいなと実感したんです。本で書いたり人前で話したりしていることを、その人が実際に生きているかどうか。それを自分の目と耳と心で判断できるからです。
たとえば家族や秘書、あまり直接的なメリットがなさそうだったり、一番弱い立場だったりする関係者(場合によっては、私のこと)にどう接するのか。それを感じながら見つめていました。それで傷ついたこともあるし、逆に深く癒されたことや、後に大切なことを教わったとわかったこともあります。
そこで、社会的立場はあまり関係なく、破天荒な人でも、ちょっと異常なところがある人でも、一貫性があってその人なりの仁義や哲学が垣間みえたら、私の心を動かすんだなとわかりました。それまではどちらかというと、肩書きだったり実績だったり。そんな周囲の人に裏づけされた保証に動かされていたような気がします。
今でもそれはゼロではありませんが、だいぶ薄れました。だから、選んだり判断することがセンスというなら、センスが変わったことになりますね。
自分の変化を受け容れるには、葛藤が。
先日これまでの日記(ジャーナリングで書いたもの)を読んでいて、センスの変化を受け容れるまでに、だいぶ葛藤があったんだなぁと思いました。良いことばかりではないんですね。
とくにひとりぼっちになること、今までつながっていた人たち(価値観)から離れつつあることへの不安がありました。
でも素直になると、心が動かされたり、ハッとさせられることは、向こう側のそっちなのです。
あのときに、松浦弥太郎さんの『センス入門』を読んでいたら、ホッとしただろうなぁ…。そう思いました。
だから、もしこれを読んでくださっている方のなかで、変化の過渡期にある人。そして、ひとりぼっちで心細い気持ちになっている人がいたらと思ったんです。松浦さんが書かれている「センスの磨き方」についてシェアさせていただきたいと思います。
センスを磨くために必要な3つ。
松浦さんは、センスを磨くためには、素直さと勇気、それを受け入れる孤独も必要だといいます。
必要なこと① 素直さ
素直さは、わかりますね。お手本にする人たちが良いということをやってみよう、真似してみようとまっすぐに取り入れることが必要だからです。
必要なこと② 勇気
勇気とはなんでしょう?
基本的に人は変わりたくありません。
このルールで生きよう、その中で安定しようと思っていたのに、それを変えて、またいちからやり直す労力は並大抵のことではありません。
それは、エゴ(分離を伴う自己意識)がとても恐れることです。過去に判断してきたことがすべて無駄で失敗だったような、そんな気がするからです。
この状態は、ゲシュタルト崩壊ともいわれます。自分が当たり前だと思っていた考え方や捉え方が壊れると、心のバランスが崩れて認識力も低下します。
参考:新しい世界に向かうときに迎える心の状態、ゲシュタルト崩壊とは?
だから、そんな状態になることを受け容れる器、勇気が必要になります。
必要なこと③ 孤独
そして孤独です。なぜひとりぼっちのような気持ちになるのか。
その理由は、あなたという実感は、あなたにしか持つことができないから。
誰かの「つらい」「嬉しい」「暑い」「冷たい」という感覚を押しはかれたとしても、代わりにその人がそう感じていることをそのまま感じることはできません。
だから、そういった唯一無二の実感で世界を捉え直す。すると、ときに周りの人と正解が同じではない場合もあり得ます。
となると、今まで興味があった話題についていけない。興味が持てない。これまで仲良かった人と、突然距離ができる。そういうことも起きるのです。
でも、それをうまく言葉では説明できない。とくに、まだA地点とB地点のあいだで揺れ動いているときは、自分でも何を選びたいのかわからない。いちいち説明もできないわけです。
私もそんな当時を振り返れば、心の動きを赤裸々につづっていた連載を読んだ昔の先輩に「ドイちゃんブレブレ!」と言われ、「あぁ、私ってダメだなぁ」と悲しい気持ちになりました。無価値観にどっぷりハマったんです。すぐにかっこよく颯爽とAからBへとスパッと変化できない自分がダメダメだなぁって。
でも、そんな時期もありますよね。人間だもの。
問題は、「それがなにか?」といえるほどの器がなかったということだと思います。
先が見えないことや変われないことが問題じゃなくって、移行期間にある自分に自信ない。そのプロセスにあるありのままの自分を認めていない。
だから自分とひとりきりになることが耐えられない。
そのエネルギーが周りに伝わって、そんな言葉を受けるような現実になったってことだったと思います。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学。
わからない状態にくつろいでいたら、周りもそう見たのでしょう。
だから、こちらのブログでも、新しい価値観、新しい自分へと移行するとき、わからないものや得体の知れないものにくつろぐ筋力が必要になるとお伝えしています。
その得体のしれない状態にあることは、なんの問題もなくて。苦しんだり、悲しんだり、もがいたりしていることは、それは腹筋しているってことなんですね。だから心配しなくても大丈夫。このことを当時の私に心から教えてあげたい…(涙)。
ちなみに心理学用語では、そこで身につく筋力のことを、ネガティブ・ケイパビリティといいます。
(参考)ネガティブ・ケイパビリティについて:手放せば入ってくる宇宙の法則。なぜ余計なものを無くせば求めるものが手に入る?
生きるセンスを磨くには、素直さと勇気と孤独が大切。そのことを春風とともに改めて教えてくれた一冊でした。
合わせて読みたい:『センス入門』
表紙もかわいい。