ハイヤーセルフとは、トランスパーソナル心理学では、高次の意識状態のこと。自分以外のすごい存在というよりも、自分の本質(神様)とつながることです。それは木よりも森を見るような高い視点で、あなたのことを大切に思い、どんなときでも人生に愛と豊かさを見る心。「ゴミからはゴミしかつくれない」とはよく言われることですよね。しかしハイヤーセルフの視点で見れば、それは嘘。私たちの魂は視点をちょっとずらし、失敗や悲しみという、不要に思う経験もまた宝物だと体感することを求めているからです。4つの実体験からお話ししたいと思います。
目次
ハイヤーセルフとつながるとは、「ゴミから宝物が生まれる」を深く知る体験。
ベストセラー本の『クリエイティブの授業 STEAL LIKE AN ARTIST “君がつくるべきもの”をつくれるようになるために』には、創造的な人生を送るための10ヒントが書かれています。それを細分化したアドバイスに、ゴミではない、天才の隣に立とうというものがあります。
参考:ハイヤーセルフと繋がる方法とは? 問題を解決する、自分を超えた答えのダウンロード法
でも私自身、「ゴミ」と思ったものが、実は「宝物」だったんだと気づかされたことがたくさんあるんです。つまり、「ゴミからはゴミしかつくれない」というのは嘘。宝物が生まれます。
肉体を持つ前の魂だった私たち、つまり私たちのハイヤーセルフは、人生においてそれを深く知ることを求めて、この物理世界に生まれてきたのではないでしょうか。
『クリエイティブの授業 STEAL LIKE AN ARTIST “君がつくるべきもの”をつくれるようになるために』の著者のオースティン・クレオンさんは、作家、アーティスト、講演家として幅広く活躍する人です。この本はベストセラーで、彼が自分の創作活動から学んだ教訓を、わかりやすく身近な表現で「クリエイティブな人生を送る10のヒント」として紹介しています。
正方形の絵本みたいな形がかわいいですよ。
創造性に富む人生を送る10のヒント
彼が創造性に富む人生を送るヒントとして紹介するのは、以下の10項目。
①アーティストのように盗め!
②自分探しは後回し
③自分の読みたい本を書こう
④手を使おう
⑤本業以外も大切に
⑥いいものつくって、みんなと共有
⑦場所にこだわらない
⑧他人には親切に(世界は小さな町だ)
⑨平凡に生きよう(仕事がはかどる唯一の道だ)
⑩想像力は引き算だ
面白いですよね。イギリスの神学者であるウィリアム・ラルフ・イングの「オリジナリティとは何か? バレない盗作である」なんて言葉もあって、肩の荷もホッと下ろせます。
ゴミからはゴミしかつくれない?
そして、⑧番目の「他人には親切に」の項目では、
俳優・映画監督のハロルド・ライミスのこんな言葉がありました。
彼の成功法則として紹介されているのですが、
「部屋の中でいちばん才能ある人間を見つける。それが自分以外なら、そいつの隣に行き、一緒に行動して、手を貸そうとしてみるといい」という言葉です。
そしてクレオンさん。「ゴミからはゴミしかつくれない」のだから、クリエイティブのヒントとして、「天才の隣に立とう」と締めくくられています。
“ゴミ”が宝物だったと学んだ4つの体験。
たしかに自分よりもずっと経験があって、すごいなぁと感じる人と一緒にいると、ハッとさせられることがたくさんあります。
でも個人的には、これってかなりトリッキーな話でもあると思うんです。
というのも、役立たないゴミか、優秀な天才かを決めるのは、いつも自分だからです。
自分という枠組みでいつでもそれを正しく見極められるなら「そのとおりです」なんだけど。
私の場合は、クレオンさんみたいにシャープじゃないからかな? 振り返ればそうでも無いときが多かったんです。
失敗したり、大切な人を失ったり、病気したり…。そんな人生には無いほうがいい、人によっては”ゴミ”ともいわれるかもしれない体験から、自分にとって本当は大切だったもの、実はそうでもなかったものを深く教わりました。
だから今大切にしているもので、かつて後回しにしていたこともたくさんあるんです。
人知れずトイレの床を磨いていたり、毎日コツコツと自分との約束を守り続けているような人を見ると、感嘆と憧れを覚えます。
昔はもっとわかりやすいものに惹かれていたような気がします。みんなが認めるような肩書きがあったり、有名な人や組織などです。
でも、実際に私が怒ったり、笑ったり、泣いたりしながら、深く気づかされたり、心がふるえるぐらいに学ばされたものごとは、じっと心を研ぎ澄まさないとそれが宝物だとは見失ってしまうようなことでした。
それに遭遇したばかりには「ゴミ」とか「厄介なこと」とか「失敗」や「絶望」と思ったことを、自分の思惑やコントロールとは関係なく巻き込まれるようにして体験して、やがて月日を経て、「宝物」だったんだなと気づかされたことがたくさんあったんです。
そのなかで、今の私がお話しできるものから4つほどシェアさせていただきますね。消化しきれていないものについては、やがて肥やしになったときにまたお便りします。
1. 堆肥からアロマエステの香りがする。
まずそれを痛感したのが、生まれて初めてゴミからコンポストをつくる手伝いをしたとき。
コンポストというのは、枯れ葉や生ごみ、動物のフンなどでつくる堆肥、肥やしのことです。
土居という名前のわりに、土いじりはあまり得意ではなく、どっちかというと苦手な私。それでなんでコンポストづくりを?ということなのですが、たまたま縁あって、サンフランシスコにあるThe Free Farm(フリー・ファーム)というコミュニティ・ガーデンを訪ねたんですね。
ここは誰でも散策したり、菜園を手伝ったり、植物の育て方を学ぶことができる場所でした。収穫した作物や肥料などはすべて無料で欲しい人に提供し、野菜や果物の栽培法も無償で教えているとか。私が訪問した当時は、毎週日曜日にガーデンの収穫物に加えて、隣人の庭やさまざまなファーマーズマーケットなどで余った食べ物を集めて、近所の公園で無料配布していました。
そのファームを訪ねたときに、堆肥づくりか、剪定か、落ち葉拾いのいずれかをお手伝いさせていただけることになりました。そこで一番抵抗感があったので良い機会だと思って、堆肥づくりを志願したんですね。
堆肥のブレンドは、生ごみ、馬糞、落ち葉です。ひとり黙々と背丈よりも大きい鋤で、堆肥に新鮮な空気を含ませるために掘り起こして、かき混ぜ続けました。プラスチックゴミなどが混ざっていたら、それを素手で選り分けます…。
生ごみや糞が混じる肥やしから、素手でゴミを取るのは、内心ヒェーでした。
そこで、なるべくニオイを嗅がないように鼻呼吸を止めながら行っていました。
「半年前にはラム酒の専門バーでマルティニーク産のラムの香りに酔いしれていたなぁ…」と、華やかだった東京生活に想いをはせながら…。
しかし、私はどんくさいのです。
不意に話しかけられて、と同時に思いっきりニオイを嗅いでしまったのです。
すると、
「ん? 臭くない!」。
丁寧にブレンドされた堆肥は、草原のような柔らかい香りがしました。女性誌の編集者時代に体験させてもらった高級アロマエステにただよっていた匂いにそっくり…。
まさに目覚め!
ゴミが堆肥となり、野菜やフルーツ、美しい草花の栄養となり、新しい命を育んでいくのかぁー。
「不要なものなんて無い。それぞれの役割を果たしながら、循環の中で生きる」。そう教えてくれたフリー・ファームのツリーさんの言葉が腑に落ちて、気づけば涙していました。
当時、アメリカ社会のゴミのようになっていた我が身に照らし合わせたのだと思います。
ゴミからはゴミしか生まれないなんて嘘だ。
あのときほど、それをストレートに実感できた体験はありません。
2. アルツハイマー型認知症の女性との暮らし。
その次は、アルツハイマー型認知症のおばあさんと一緒に暮らしたときのことです。
無職で高額の学費を払い続けていた私のことを見かねた友人が、「彼女の家で朝食のお世話をすれば、大学の近くで、無料で住まわせてもらえるよ」と紹介してくれたのです。
参考:マガジンハウス社員からホームレス編集者へ。居候生活と禅修行で始まったひとりベーシックインカム制度。4年間のわたしの“家賃ゼロ”という生存計画について(前編)
当時は学費を1学期200万円近く支払う必要があって、それに食費に家賃に交通費がかかっていました。そこで寝不足なのに、2ドルのバス代をケチって1時間歩いたりしていましたから、家賃がかからないことはとてもありがたいことでした。
でも、大丈夫かなと不安だったんです。知り合いに認知症の方もいないし、お世話をしたこともない。ましてや一緒に生活するなんてことが「自分にできるかな?」と思ったんですね。徘徊などあるから、ついていくだけで必死だった授業を受けたり、勉強もできるのかな…とか。
どこか自分のほうがお手伝いする、助ける側だという意識があったのだと思います。
けれども実際には、彼女に泣き言や悩みをいっぱい聞いてもらって、励ましていただきました。きれいごとばかりじゃなくて、「ひどいなぁー」と思うこともあったけど、それ以上に教えられたり、支えてもらったことの方が多かったです。
新しい記憶が定着しない方だったので、どんな深い心の交流があっても「明日には忘れてしまうんだな」というのが悲しい半面、安心感もありました。まさに、今を生きるです。
思い切って会社を辞めてアメリカに飛び出したわけだから、本来内心を話せるはずの身近な人には弱音を吐けない。カウンセラーにお願いするお金もない。そこで、彼女にしか打ち明けられない話がありました。
そんなときはいつも「大丈夫よ、アヤちゃん。あなたけっこう、いい線いってるわよ」と言ってくださいました。何がいい線なのかは、最後まで教えてもらえなかったから謎ですが、自分以上に自分のことを信じてくれる人がいると、人は前に進むことができます。
血のつながりが無くても、一緒に手を合わせて食卓でご飯を食べることで、家族のような拡張家族になれることも教えてもらいました。
年をとること、完璧じゃなくてもいいこと(だからこそ関係性が生まれること)、支え合うということへの理解を深めていただいたんです。
3. 禅センターで感じた、人生を手づくりする手応え。
そして禅センターでの暮らしです。私が生活したのは、アメリカのニューメキシコ州にあるウパヤ禅センターと、カリフォルニア州のタサハラ禅センターです。
ウパヤ禅センターは、最初は4か月間、帰国前に1か月間の合計5か月間ほど滞在していました。日本人は私ひとりです。
私の実家は駅から遠く、山の上にあります。中学校は2時間ぐらいかけてバスや電車を乗り継いで通っていました。当時は胃腸が弱く、毎朝電車を降りた途端、駅のトイレで吐いてしまうという日々で。
だから、「絶対に大人になったら、街中で暮らす!」と決意し、ボーナスが出てすぐに自転車でも通勤できるマンションに引っ越ししました。
アメリカで暮らしていたときも、お金が無いためと運転センスもゼロだったので、徒歩でスーパーなどにアクセスでき、交通網が発達している街を選んで暮らしていました。そういう意味でも、だからサンフランシスコやバークレーだったんです。
けれども禅センターは、山のふもとにあってバスなどもありません。街に出ようと思うと自転車で1時間弱(しかも、車にひかれてしまった)。
だから、大丈夫かなーと思ったんです。幼い頃のトラウマもよみがえりました。
でも、結果大丈夫だったんです。
その理由は、大抵のものは工夫すれば手づくりできるんだと教わったからです。
たとえば誕生日カードは、庭の木の枝や実をあしらい、絵筆で上手につくって贈り合います。アーティストだったレジデントなんかもいるので、結構オシャレなんですよね。
髪の毛もトイレをサロンにお互いに切りっこ。生まれて初めてだったけど、3人ぐらい髪の毛を切りましたよ。
コンブチャも手づくりする人がいるから、オーガニックスーパーに行って買わなくていい。お返しにカフェで出されるようなグラノーラやパンやケーキをつくって贈る習慣も禅センターで身につきました。
お店で洗練されたものを買うのも楽しい体験です。私は香水やフレグランスキャンドルに目がないのですが、モダンで複雑な香りはやっぱり手づくりでは出せない。
けれども不器用でも自分で作ってみる体験では心が躍ります。「自分で工夫してつくることもできるんだ」と知ることは、人生を操縦する領域が増えるように感じ、生きる力を取り戻せます。
人生を自分の手に取り戻すことができるんですね。
私がつくれるものだから小さく些細なことだけど、自分で生み出すという体験によって、なにに豊かさを感じるのかという定義が変わりました。
たとえば、禅センターでは、洋梨や桃がたわわになっていて、好きに食べてよかったんです。日本で暮らしていると、洋梨とか桃は、高価で貴重なものです。それが食べきれないほどなるので、最後はソースにして朝食のオートミールと出すほどでした。もちろん無農薬。贅沢じゃないですか?
水をやったり剪定したり草むしりしたりという世話はありますが、その労力に比べて、驚くほど豊かな恵みを与えてくれるのです。
禅センターを出た後に、しばらく住まわせていただいていたカリフォルニアのあきよさんのお家の庭にも、彼女が大切に育てた新鮮なベリーがたくさんなっていました。
「好きに食べてねー」と、とっても甘くて宝石みたいに美しいベリーをおしみなく振る舞ってくださるあきよさん。彼女は、お友達やご近所さんにも庭のベリーや花束を贈っていました。豊かだと心から思いました。
帰国した現在、実家では母が、こじんまりとした家庭菜園でルッコラなどのハーブを育てています。彼女は私が幼い頃からずっと庭仕事の時間を大切にしています。ハーブが食卓に並んだり、庭の花が洗面所やテーブルに飾ってあるというのは、空気みたいに当たり前のことでした。でも、私はその価値に気づけていなかった。豊かさをようやくわかるようになれたんです。
私自身は土いじりが苦手で、メジロやヒヨドリにリンゴの芯や皮をやったり、再生ネギぐらいしか育てられません。けれども自然とうまく助けあい、手を使ってつくることで得られるぜいたくは、心から偉大だと思います。
参考:ギフトエコノミーは資本主義経済とも両立できる。服部雄一郎・麻子さんに教わる、豊かなお金の使い方と自然の恵みにならう暮らしのはじめ方
4. 顔面マヒが贈ってくれたもの。
最後は、2021年12月に発症したラムゼイ・ハント症候群による重度の顔面マヒです。10日間入院して、その後も1年間通院しました。今でも軽いけいれんが残っています。
三半規管がおかしくなったので真っ直ぐに歩けなくなったり、吐き気がひどくて働けなくなったときは、とても不安でした。それ以上に、顔が壊れていく様子は本当に恐ろしかったです。落ち込んだ気持ちを奮い立たせるためにもポジティブな気づきをこちらで書いていましたが、心細かったし、すごく怖かった。
笑顔もつくれないし、となるとこの恐ろしい顔では人とも会いたくないしと、今までの自分が失われていくようでした。
参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。
でもこの体験をきっかけにして、素晴らしい出会いを得ることができましたし(本当に素敵な方たちがここでの記事を読んで信頼してくださり、セッションを受けてくださったのです)、
考えるばかりではなく感じる心を大切にすると実感して、傾聴ジャーナリングという講座を生み出すこともできました。
傾聴ジャーナリングについて:2022年、ホンネに耳をすませて最高の答えとつながりたいあなたへ。
また、父や母の病気と向き合うときに、「しんどいときはつらいし、頑張れないときもあるよな」と柔らかくなれたり、できないことよりも今できることに目を向けたり、近い未来にどうなってしまうかよりも今一緒に過ごせる時間を大切にしようと価値観をシフトすることができました。
そんな価値観は「GDPを上げるぞ!」という成長発想からいうと、先細り感や退化すら感じられるかもしれません。
でも、枯れるところにも価値を見ることは、魂が求める人生体験としてフルセットになっているんじゃないかなと思うんです。そういう意味で、侘び寂びに美意識を見た、日本文化って奥行きがあるなぁーと改めて思います。
さて今朝の話です。
母が「あら嫌だ、眉毛に白髪が生えたわ」と言いました。これから友人と会うから、どう思うか聞いてみようと。その後でふと気づいたように「あ、でも。私ぐらいの年齢になると、もうあまり目もよく見えないのよ。だから、きっと気づかれないわね」と笑っていました。
この話、なんか、良いなと思ったんです。
だから母に怒られるかもしれないけど、最後に書いてみました。
今つらいお気持ちでいる方、今はそう思えなくても、必ずそれはあなたの宝物になります。
その理由は、なにをおいても大前提としてあなたという本質は、どんなときも何を思っていたとしても、誰にも変わることができない宝物(ハイヤーセルフ)だからです。