2021年の冬至は、12月22日。古代では一年の始まりとされた冬至ですが、その直前の今は最高の断捨離(デトックス)時期です。新たな扉をひらくためになにを行えば? ひとつ挙げるとすれば、「変わろうとするのをやめる」こと。長所も短所も含めた自分を今ここで受け入れます。その理由は、意識から抵抗のエネルギーが薄れ、「すでに変わっている状態」につながるから。お話ししたいと思います。
病院の帰り、スターバックスに寄ってチョコチャンクスコーンとスターバックスラテを飲みながらこれを書いています。ふわぁ、幸せ。今日のチョコチャンクスコーンは、チョコの分量が多いという小確幸を味わっています。ふわっとハートが開いて、体温が上がります。
一年前の今、私は病院で点滴をしていました。重度の顔面マヒを発症して緊急入院したのです。
参考:風の時代へ。冬至の心の毒だし、バシャールの現実創造で何が起こる? 突然顔面マヒに、ラムゼイハント症で緊急入院した話。
そして一年が経ちました。若干の後遺症は残ったものの、担当の先生いわく、かなり悲惨な状況だったことを思えば奇跡的な回復を遂げたとか。
病気というのは体験して改めて思いますが、嫌なものです。とはいえ世の中には完全にマイナスだけってことはなく、そこで得られるポジティブな気づきもあります。それは病気も然り。
私の場合、病気に贈ってもらったことはたくさんあったけど、その一番は「欠点を受け入れる」ということでした。
たとえば、今の私は軽く目を閉じると口の左側がクッと上がって、口を動かすと軽く左目がつぶってしまいます。
おかしいでしょう?
自分の顔の筋肉だけど、よそものが同居している気分です。
病的共同運動といって、神経が修復される途中で混戦してしまったための後遺症だそうです。左側の顔の筋肉が動きにくいので、ほうれい線も片側だけ出ています。
鏡なしには自分でそれを見られないのはいいものの、顔の筋肉が独自の動きをしているっていう不気味な感覚は感じるんですねー。
外来の後に会計を待っていたら、小さな子どもを連れたお母さんが「そっちに行かないのー」と外に行こうとする男の子を制しています。私の顔にもそんな感じで思いどおりにならないやんちゃな男の子が共存しているって感じです。
先生がいうには私の顔の筋肉の動きは、「普通の人が100点としたら、90点」の状態。10点足りない状態だけど「ここまでよくやった」と褒められ、バンザイなのです。
では絶対10点足りないのかといえば、うちの猫に比べると今は笑顔だって作れるし、頬も膨らませられる。猫に比べると300点の顔筋です。
傍目にはよく見てもわからないぐらい回復したそうで、先生も驚いていらっしゃいます。
一年前は口の筋肉が動かずコーヒーも飲めないような状態でしたから、本当にありがたい話です。
だから「こうじゃないとダメだ」「欠けている、そしてそれはダメ」とするとしたら、それはただ私の頭のなかの公式がそうだというから。
逆にいえば周りの人や世の論理がそう言っても、自分がそう判定しなければ、そうはならないのです。
以下、ニーバーの祈りをご存知でしょうか。
神よ、
変えられないものを受け入れる平穏さを与えてください。
変えられるものを変える勇気を与えてください。
そして、そのふたつを見分ける知恵を与えてください。
というものです。
ニーバーの祈りに当てはめれば、
「変えられないもの」は、病気になったという過去や、他の人に比べたら顔の筋肉の動きが10点足りない状態という事実。
「変えられるもの」は、それをどう感じて、解釈して、自分の人生に寄り添えられるかという意識の向け方です。
ここで言いたいのは、無理にポジティブに感じようということではありません。
私自身、「あぁー、コンタクトを入れると左目が充血したり、顔が動きづらいのってしんどいなー。嫌だなー」って思っていますから。
体の感覚としては、痛みや重み、気だるさなどの不快な感覚がします。そしてそんなありのままの状態を「ダメだ!」「良くない!」、「もっと良くなることが正しい」と否定すると、さらに心は沈み、体も重くなります。
私の場合、面白いことにそんな心の重さに比例して顔も動きづらくなってくるんです。
だから、「充血する目」も、「左側のほうれい線」も、それらを「嫌だなー」って思っている自分も認めて、ただ観察します。否定しません。するとちょっとラクになる。心も体も軽くなるんです。
変わらなくてもいいんだと思うと、力みが抜けるんですね。
「90点な自分でいいんだ」「これがパーフェクトなんだな」と思うとホッとして、気分が少しずつ浮上します。
変えられないものをいったん受け入れるんです。変わろうとするのをやめるんです。
それで、だったら良い目薬を先生にお願いしようとか、萎縮した筋肉のマッサージをしようとか、変化を起こす力が湧いてきます。
そんなふうに事実を解釈すればいいのかなと思うんです。そうなると変えられないものにとらわれず、私たちは変わることを選ぶことができる。
絶望するのは、自分を自分じゃない変えられない何かに当てはめようとするせいです。24時間365日ずっと一緒で一番認められたいはずの自分自身のホンネを認めてあげられないから、絶望するんです。
それで成長できたり拡大する気がするならいいのですが、絶望しているってことは思考偏重になって命の輝きが閉ざされているということ。
私の場合も認められたいホンネを無視し続けて「もっともっと」と思っていたから、「もっともっと」と思う状況になったんですね。それを病気が「もういいよ」とストップしてくれたんです。
顔面マヒになる前の1年間は、本当に自分にダメ出しをしていたと思いますから。
おかしく聞こえるかもしれませんが、顔面マヒが贈ってくれたものがたくさんあります。
最大のギフトは、自分の感じ方を大事にするということでしょうか。
参考:ありのままの自分で本当に幸せになれるの? マガジンハウスからホームレス編集者へ。アメリカ先住民ナバホ族の集落で死にかけて学べた私の幸福学
改めて今年の冬至を迎えるにあたり、「変わらないとダメ」という心にまつわるあれこれを断捨離(デトックス)します。手放します。
手放すというのを具体的にいうと、無理に「ナシ!」とするのではなく(それも抵抗という形で強く意識を向けています)今に留まって、自分の内側で起きていることをありのまま認めること。
とはいえその痛みや不安が自分だと同一視しないこと。
すべてを観察している自分を感じるということです。
ネガティブな感じも隠したり、克服したりしようとせず素直に感じ切ると、もがきはやがて昇華されていきます。
世界的なスピリチュアル指導者のエックハルト・トールは、私たちが経験する悲しみや痛みは、ネガティブなエネルギーとして体に記憶されると言いました。
そして、それを「ペインボディ」と呼びました。
そして、ペインボディを癒すための5つのステップとして、
・ペインボディを自覚する
・ペインボディがあることを受け容れる
・ペインボディを良い悪いと判断したり、分析しない
・ペインボディは確かに自分の中にあるものだけど、それをイコール自分としない
・ありのままのペインボディを観察し続ける
参考:その不幸は、体に積もった心の傷のせい? 古い痛みを感じて「ペインボディ」を治す方法。
をあげています。
ネガティブな感じは、必要以上に怖がる必要はありません。
なにが自分にとってネガティブなエネルギーなのかを感じ取ることができれば、それが必要ないこと。そしてその逆のポジティブなエネルギーを選べるようにもなっていきます。
嫌な感覚を紙に書いて自覚することも役立ちますよ。
参考:自然なあなたが一番美しい。ドス黒い感情やダメな視点にも価値がある! 不安、怒りを「書いて」陽転させる方法。
自分にとってなにが大切かは、心と体が教えてくれます。
本当にやりたいことや好きなことに対しては、心のろうそくに火が灯されたように体温が上がったり、楽しい気分になったりします。あんまりいろんなことを考えず、気づけばやってしまっているかもしれませんね。
逆にやりたくないことや嫌いなことには、拒否反応を示します。気乗りしなかったり、身体が緊張したり、重かったりします。行動をとるために、あれこれ理由をつけようとしているかもしれません。
最高の断捨離(デトックス)時期、冬至前に「変わろうと無理するの」をやめます。
変わろうとするのをやめると、抵抗のエネルギーが薄れていきます。本当にラクになりますよ。
意識するのは、変わろうとするんじゃなくて、自分を整え続けようとすることだけ。
整えるというのはネガティブをきちんと感じながら、今ここでポジティブなエネルギーを選ぶということ。今ある状態は変えられないけど、そうすることによってなりたい未来の自分につながる一歩が踏み出せます。
すると逆説的にも思えますが、おのずとなりたい状態に変わっている自分を感じることができるんです。
肩の力を抜いていきましょう。