前編・後編に渡って“家賃ゼロ生活”を送るわたしの等身大の学び、課題を正直にgreenz.jpさんでつづっています。今回は、お金を交わさないアメリカの禅センターで体験した豊かな暮らし、そして帰国後、突然顔面マヒで緊急入院して気づいた私のお金のブロックについてお話しします。
アイキャッチ写真:©︎Upaya Zen Center
目次
わたしの居候道、「始末の心」の3原則
予期せぬ居候生活がスタートして以来、これまでの4年間、ありがたいことに個人宅やコミュニティなど30軒ほどに無料で住まわせていただきました。そこで試行錯誤してきた結果、うまくいく居候道には3つの原則があると感じています。
わたしはそれを、物(こと)の始まりから終わりまでを考えて始終を整えるという「始末の心」の3原則と名づけています。
原則1は、家主から「居候しない?」と誘われるまでは、こちらからお願いしないこと。寄生(パラサイト)するにも、宿主(ホスト)の負担になると持続可能ではありません。
断っていただくにも「悪いなぁ」「この人、今晩はどうするのかなぁ…」と良心の呵責を感じさせることは避けたいものです。そこで、家主からのお誘いが、居候の切符になります。
「そんなお誘い、普通こないでしょ」と思いますよね。ところが実際には、世の中には拝みたくなるような優しい方がいて、何軒か居候するうちに次の滞在先を進んで探してくださったりもするんです。
ちなみに、お呼びがかからないときは、民泊やモーテルに泊まります。ですから、多少の蓄えは必要です。つまり4年間で滞在費がまったくかからなかったわけではありません。
原則2は、家主の話をしっかり聞き、部屋は掃除し、使わせていただいたときよりもきれいにして出る心づもりでいること。
経験上、居候においては、原稿を書く能力よりも、傾聴、料理、掃除スキルのほうが断然喜ばれます。アメリカ先住民のナバホ族の集落では、ドラム缶の水を口でくわえたホースで吸い、バケツに移して運搬するという技能が求められました。これは危うく窒息寸前になってまったくの戦力外。居候として、なんのお役にも立てませんでした。
原則3は、家主の価値観をなるべく守って過ごすこと。例えば食器の洗い方には家主の節水度や清潔さの好みが現れるので、よく観察してならいます。水つながりで話せば、干害が続くカリフォルニアでは、トイレは大以外、断じて流さないという家庭もありました。気候変動のエッジに立つナバホ族の集落では、水道自体がありません。
また、家主に気を遣わせない程度に滞在期間に応じて何か贈るのもいいでしょう。留守を預かる場合は、彼らの帰宅日を逆算して好みにあうお菓子や朝食の食材を買って、冷蔵庫にサプライズで入れておくのも楽しいです。とはいえ懐事情によりけりで、無理はしません。
去り際は、お礼状とともに「ありがとう」のエネルギーを残します。
居候道では、いつでも荷物をまとめて旅に出られる軽やかさが肝になります。定住先を決めず、流れに身を任せるのはハラハラドキドキの連続ですが、頑なさを手放した瞬間、想像を超えた未来(次の家)の扉が必ず開きます。
お金を交わさない、禅センターの暮らし
さて、★前編でお話しした初めての居候体験のあとは、コミュニティでお金を交わさずに暮らしました。いちばん長く滞在したのは、5か月間ほど過ごした米ニュー・メキシコ州サンタフェのウパヤ禅センターです(※)。
※他にスティーブ・ジョブズが修行したタサハラ禅センターも滞在。
山奥にある禅センターでは、料理やハウスキーピングで週25時間ほど働き、1日3時間の坐禅と礼拝の準備、仏法を学びました。部屋と食事は、支給されます。
接心(集中瞑想合宿)のときなどは、世界中から100人ほどの修行者がやってきますが、平均すると30人弱で生活していました。
食事はほぼオーガニックだし、庭の桃や洋梨は食べ放題。服はだいたい黒の作務衣だから、センターではお金が交わされなくても、何かが足りないと思うことはありませんでした。
僧院長のジョアン・ハリファックス老師は、死にゆく人々や刑務所に収監されている人々と関わる仏教指導者であり、文化人類学者でもあります。そのため社会活動家や学者、医療従事者や作家が頻繁に訪れ、自由闊達で深い対話ができるウパヤ禅センターは、わたしにとって、バークレー大学のキャンパスよりもアカデミックな雰囲気がありました。
あるものを活かす、無いものを愛でるスキルが身につく
とはいえ、無くて困るものもありました。たとえば、プライバシーは確保できません。お互いさまかもしれませんが、誰かのイビキで眠れないこともしばしば(日本の友だちが強力耳栓セットを送ってくれました)。
しかし、あるものを活かし、無いものを愛でるスキルも身につきました。
髪はお互いにカットしあいました。未経験でしたが、「アヤは日本人だから器用なはず」という謎のバイアスに便乗してトイレをサロンに、にわかヘアスタイリストに扮したこともあります。
また、適度な制約は、ときに最高の創造力を生み出します。誕生日には小枝をあしらったカードが交わされ、アップルビネガーでつくったシャンプーなども、薄毛に効くと男性陣に人気でした。
わたしは禅センターで唯一の日本人でした。そこで「マリィは漢字で真理と書けるから、あなたの名前はTruth(真実)という意味ね。究極の真理ということで、仏法のPrajna(般若)ともいえます」とわかったような口をきいて、名前を漢字にして筆で書いてあげると、大変喜ばれました。
特別なイベントがなくても十分な人数がそろっているので、童心に返ってみんなで雪合戦したこともあります。禅センターでは、それぞれの存在や知恵を持ち寄る、豊かな暮らしが広がっていました。
禅センターは社会の縮図。守られた聖地ではない
一方、救済を求める人が向かう禅センターは、守られた聖地ではありませんでした。
ある日、レジデントの一人が突然去っていきました。彼女は英語が不十分なわたしに、丁寧に仕事を教えてくれた人でした。優しく頼れる彼女が、なんの挨拶もなく、いなくなってしまった。とても悲しかったです。
その理由は、禅センターのクレジットカードを個人的に利用して、別の人の名前でサインし、お金を使い込んでいたためでした。禅センターのプレジデントが店の防犯ビデオを確認して発覚。一度や二度のことではなく、話し合いの末に、彼女はセンターをあとにしたとのことでした。
この件はのちに、センターの全員で話し合いました。互いの心の痛みや疑念を開示し、コミュニティ全体の問題として共有する対話法に触れたことは、とても良い経験になりました。
街に出た途端、お金で人と自分を切り離す
休日は息抜きに、自転車で片道50分の街のお気に入りのカフェに向かうこともありました。いつも注文するのは2ドルの本日のコーヒー。ある日、列の前に並ぶ人が5ドルのカプチーノと9ドルのグルテンフリーブラウニーをためらいもせず注文する姿を見て、「いいなぁ〜。あの人はお金に余裕があって。私とは違うなぁ〜」と思いました。
その瞬間、「アレ?」。
区別性のない真理について学び、坐禅し、奉仕し続けているのに、お金のあるなしで、サクッと人と自分を区別するわたしの一面に気づいたのです。
さらに年の瀬も近いある日、自転車でスーパーに向かう途中で車にひかれるという事件が起きました。
停止中の車が右側から走る自転車のわたしを確認せず、歩道をまたいで急発進したのです。高級車のジャガーから高そうなニットを着た白人の老婦人が飛び出して、「まぁ、どうしましょう。ごめんなさい、ごめんなさい」と平謝りしました。
そしてたまたまパトカーが通りかかります。道路にひれ伏すわたしを見て、警察官が「大丈夫ですか? 大変だ!」と救急車を呼びました。するとひたすら謝っていた婦人が突然「この人が急に突進してきたんです!」と言うではありませんか。
救急車が到着すると、黒山の人だかりになりました。すると日本から帰国したばかりのハリファックス老師が偶然車で通りかかって「アヤじゃないの!」と走り寄ってくるという、嘘みたいな展開に。
「とんだ災難でしたね」と気遣ってくれていた警察官が、わたしがアメリカ人ではないこと、そしてジャガーの婦人の保険証とIDを確認した瞬間、「キミが悪い」と転じ(要人だったのかな)、ひかれたわたしが厳重注意される運びとなりました。
そこで耳に流れてきたのは、『昭和枯れすすき』(「貧しさに負けた〜、いーえ、世間に負けた〜」というあの曲です)。
老師は「あまりにも理不尽だ」と間に入ってくださいました。とはいえ、「これは私が信じていることが、外側の現実として現れているんだ」ということもよくわかりました。
それは”持つもの”と”持たざるもの”とをお金や社会的立場で区別する世界観です。修行の成果が出ていないなぁと、山を降りて社会に戻ることに不安を感じるようにもなりました。
というのも、禅センターでは坐禅や修行の成果は、現実世界でどう行動するかだと教わり続けてきたからです。つまり、本番の舞台は禅堂の外。実生活でどんなに強い感情が襲ってきても、自分の平衡感覚を保てるかに成果が現れるということです。
老師がかけてくれた「老(婆)心」というアドバイス
ほどなく禅センターを卒業するというわたしに、ハリファックス老師は「老婆心(Grandmother’s Heart)をもってね」とアドバイスしてくださいました。
「(仏道における)老婆心(老心)をもつ人は人生を個人的に捉え過ぎません。といっても、それは“傍観者”の態度ではなく、“見守る人”の姿勢です。慈愛にあふれ、動じず平静でいて、見返りを期待せずにできる限りのものを与えられる人です」とおっしゃいました。
そこで「精進します!」と言いました。すると老師は「そんな慈愛を人に贈ろうと力む前に、まずは自分に贈ってね」と微笑んで、二人きりの禅堂で抱きしめてくださいました。
禅の先生の家に居候しながら、翻訳業
その後もアメリカで、いろいろな人に居候させていただきました。ゲートコミュニティの豪邸もあるし、車中泊もありました。1か月以上も滞在させてくださった方もいらっしゃいます。
ハリファックス老師の旧友で、道元禅師の翻訳者でもある、書道家の棚橋一晃先生(Kazさん)のご自宅に居候させていただいたこともあります。友だちがご縁をつないでくれたのですが、彼の本を翻訳するという大役までも贈ってくださいました。
恩人の一人、Kazさん。
どこの馬の骨ともわからぬわたしに大切な本を預けてくださったKazさん。家のいちばん狭い部屋を自室にして、立派な客室をわたしに開放してくださいました。
カズさんは「社会に役立つ仕事だから安く(or無料で)働いて」とは決して言いません。十分な報酬を気持ちよく払ってくださるんです。
「なぜですか?」と尋ねると、そのほうがお互いにとって良い結果を生むからだと。Kazさんとお金との関係性からは、仏教の中核的思想である縁起(えんぎ。あらゆるものすべてがつながっているという森羅万象のあり方)と資本主義経済が重なるひとつのカタチを見たように思います。
東京でもまさかの“家賃ゼロ”生活
とはいえ修行中のわたしの心が映す現実世界は、引き続き甘くはありません。
やがて5年の滞在ビザが切れて日本に帰国。居候生活も終了かと、日本ではひとまずマンスリーマンションを借りることにします。
するとカード先払いでも、保証人として親のサインが必要だと言われました。つまり、年老いた親なくして部屋が借りられないほど、今のわたしの社会信用度はないということです。さらに1か月間借りてみて、お金がかかり過ぎるとも感じました。突然、現実を突きつけられたようでした。